【グローバルがキーワードのとある講演を聞いてのとても個人的な率直な感想】

「グレーゾーンの子ども」という概念がまだ浸透していなかった70年代後半から80年代前半に
幼少期を過ごした私は常に協調性が無い「ふつう」じゃない子、変わった子どもだとして扱われ続けてきた。

小・中学校でも教師から「決まりだからやりましょう。皆やっているんだからやりましょう」と言われるも
その言葉に納得できず、納得できないことはやらないというスタンスを貫いていたら、まんまと問題児扱いされていた。

「愛さんは授業中に他のことしてます。」
「愛さんは興味のあることしかしません。」
「愛さんは一人だけ、みんなと違う事をします」

毎日の様に学校から呼び出される母は当時本気で悩んだそうだ。

中学では成績は悪くなかった。先生も話し合いで解決しようと試みてはくれたが
当時の私は神様の存在を本気で信じている先生たちと話し合う気にもなれず
息苦しさを感じて、やや不登校気味になった。

「どうして学校行かないの?」と母に聞かれたので、
もう神様に飽きた。とも言えず、
「毎日2時間も電車に乗ってわざわざ通う意味あるの?」
と母に言ったら中学の3年生の途中からイギリスの全寮制に入れられた。
おかげで確かに通学時間はゼロに短縮された。

転校先では言葉の壁はあったものの、日本の中学に居た時のような、
皆と同じでいなければいけない。目指せ「ふつう」という変なプレッシャーは感じなくなっていた。
皆と同じことが言えなくっても。同じような考え方ができなくっても、
そもそも見た目からして皆と全然同じじゃないから、誰も不思議がりはしなかった。
外国人ですからすみませんと開き直って生活できたのは精神的には随分楽だった。

たぶん今思えば人と比べられるのが極度に苦手だったのだと思う。
それと「ふつう」って何?と常に思っていたからイギリスでは「ふつう」でいろなんて誰も
私を矯正したりしようとはしなかったし、それで先生も困ったり、
悩んだりはしていなそうだったから居心地が良かった。

当時の私は自分の20年後、30年後に今の自分の人生がこうなるだなんて全く予測もしていなかった。
正直それほど真面目に将来のこともこの国の未来の事も考えたりはしていなかった。

通学中に見かけるOLさんみたいに自分も将来ハイヒールという今にも足を捻挫しそうな靴を履いて
毎日綺麗にお化粧をして満員電車に乗るのかと想像しただけで何とかしてその道だけは避けねばならばいと
漠然と考えるぐらいだった。
だからといって何がしたいかなんて明確なものは持っていなかった。
きっとあの時あれこれ考えて計画していたとしても計画通りにはなっていなかったような気もする。
本当に考えもしなかったことばかりが現実には起こったし、起き続けている。

未来は予測不可能だし、これから先も予測不可能な世界を精一杯生きていかなければならない。
それは今も昔も変わらない。

当時の女性の生き方としては辛い満員電車に揺られて2~3年会社でOLさんとして働いて
職場で出会った男性と結婚して寿退社したら家庭に入って子育てに専念する。それが「ふつう」だったし
悪くは無い人生だと言われていた。
そう考えると現時点で常識とされていることにとらわれ過ぎて
自由な発想ができなくなることに比べたら、人と同じで枠からはみ出さないでいることは
そんなに大事なことでもないなとこの年になって思うようになった。

その集団の中の平均に近いというだけで、「ふつう」を定義して
本来とても曖昧な「ふつう」という概念で、個性を潰そうとしたり違いを排除しようとするのは
間違っているのかも?と気づき始めた大人たちが少しづつ増えてきているのは良い兆候だと思う。

それでも「ふつう」という概念が曖昧であまり意味が無いものだ、ということが
政治や教育の現場ではまだまだ浸透していないと感じる。
加えて中途半端に国際化を意識しすぎているせいか昔よりも更にややこしくさえなっているとも思う。

この30年で世の中はとんでもなく便利になった。情報は昔に比べて氾濫するぐらい溢れているし、
アクセスもしやすくなった。誰でも世界中どこにいても欲しい情報が見れるし読める。
日本の裏側にいる会ったことも無い人とも24時間いつでもメッセージが送れて情報交換ができる。
英語教育もICT教育も情報を取りやすくするためには役立つけれど、それらが使える人がグローバル人材かと
言ったらそれはちょっと違うように思う。

グローバル人材という言葉と同じぐらい、最近グローバリゼーションという言葉をよく耳にする。
この言葉が大好きな政治家とか教育関係者がやたらに多い気もする。

グローバリゼーション推進の一環として我が議会では、我が校では・・・・ほにゃらら、ほにゃらら。と
力説するいわゆる先生と呼ばれている人たち。

で、何を具体的に進めているのかとワクワクしながら聞いていると、
タブレットを導入しています!!・・・・これを聞いた瞬間に途方もない脱力感を私は感じるのです。

議員だけでなく教育者までも、判で押したように、グローバリゼーションが進む現代社会で通用できる人材を~ほにゃらら、ほにゃらら・・・
等といいつつ軍隊方式で右向け右で子どもたちも大人たちも従わせようとしているこの矛盾。

本気でグローバリゼーションを進めようとしているのなら人との違いを気にしない自由な発想をする
いわゆる「ふつう」じゃない子どもや大人を全力で排除しようとするのは止めたほうがいい。

先人達が散々あれやこれやとやってきても未だに解決できていない課題がだくさん残っている。
イコールそれは今まで試してきた発想では解決できないってことだと思う。

そもそも何が本当の課題なのかをつかみきれていない、もしくはこれこそが解決すべき課題だと誰かから命じられて、
「ホントに?そこななの問題は?」と疑問を抱きながらも先生や上司に逆らっても得なことはないからと、あきらめて
誰かに与えられた課題を根性論で必死に解決してきただけなのかもしれない。

自分で課題を設定する能力が身に着いていなければ、永遠に課題解決なんてできないと思うし
的外れなリーダーの元でグルグルと悪循環させられていくだけだとも思う。

それすらも認めたがらない大人もまだまだ沢山いるけれど。

だから、私たち一部の大人は若い人たちが今まで私たちじゃ思いつかなかった、思いつけなかった
自由な発想で問題を解決してくれるんじゃないかと大いに期待をしている。
そういう学生とひとりでも多く出会いたいと、サポートしたいと思い、
時間をやりくりしてでも学生の為にメンタリングの協力を惜しまない。

ご興味がある方は私がメンターとして参加している8週間の学生起業家向けインキュベータープログラムのリンクはこちらから
(参加費は全て無料です)
https://sekaicreator.org/apply?fbclid=IwAR1R4ELUYxURNu-wna5d-xla3z8L2J35a1p3_Sf2SwQRAkhYVN_K_UvCW20

グローバル人材予備軍が課題を設定する能力を身に着けていけなければ
グローバリゼーションの波からは完全に置いていかれるし、
根性で解決できたと思っていても、課題設定がそもそも間違っていたら?
そこまでの努力が報われずむしろ長時間労働や非効率という悪い結果を招いてしまうとも思う。
そしてそんなことを続けている間にタイミングを失う。
世界で起こっている問題が次々と連鎖して世界中に飛び火する。日本も例外なく巻き込まれる。
そして更に課題設定が難しくなる。
この悪循環を断ち切るためにも、他に先駆けて課題を設定する能力を身に付けておこう!!というのが
グローバル人材教育でその課題解決方法にいち早くたどり着くことがグローバリゼーションだと勝手ながら
そう理解してきた私にとってグローバリゼーション推進の一環としてのタブレット導入は全く心に響かなかったというお話し。

そして私が伝えたいことは、誰かが言っていること(例えそれが偉い?偉そうな?先生と言われる人たちが言っている言葉)であっても
心の底からその通りだ!!と思えなければ信じる必要なし、惑わされる必要もなし。という事。

最後にもう一度、
「未来は予測不可能だし、これから先も予測不可能な世界を精一杯生きていかなければならない。」
だからこそ自分の直感を信じよう!!