その村に長居してはならない。ほんの気晴らし程度ならいいんだが。
その村の掟を破ると、二度と元の世界には戻れなくなるんだ。
どういうことかって?
そうだなぁ・・・
もしもきみがそこを訪れた時は、用心したほうがいい。いや、そんなに難しいことではないさ。
必ず夕方5時までに村を出ること。
それさえ守っていれば、あとは何も心配することはない。
あぁそうだ。名物の饅頭、あれは美味しいよ。僕も大好物だ。
もし見かけたら、一度食べてみるといい。
え?
なぜそんなことを知っているのかって?
さぁ、なんでだろうね?
ははは。
その村は、突然現れた。
入口には、村の伝説を紹介する看板が立っている。
“口無村”?
細かい字がびっしり書かれてあり、読むのが面倒だったので、眺めるだけに留めた。
そこから少し歩くと、商店街がある。いくつかの店は開いているが、店員や住人はおろか、観光客の姿もなく静かだ。
向こうのほうで、何かを蒸しているような湯気が立っている。どうやら、無人ではなさそうだ。
出張終わりに立ち寄った花坂祐太郎は、1件の店の前で足を止めた。
「田村商店」。どうやら店頭で、おばあさんが蒸した饅頭を売っているようだった。そのおばあさんは祐太郎の姿を見ると、手に饅頭を乗せて差し出してきた。試食をしろと言っているらしい。
祐太郎は戸惑いながらも、ペコッと頭を下げてそれを受け取り、口に入れた。
(うまい!皮は薄く、中の粒あんにはほんのりと塩味が効いている)
見ると、食べ歩き用に包まれたものと、土産に持ち帰れるように6個入り、12個入り、24個入りが箱詰めされて売っていた。
祐太郎は、すぐ食べられるように食べ歩き用を3つ、出張土産用に12個入りと24個入りをひと箱ずつ購入した。
おばあさんは祐太郎から代金を受け取ると、静かに微笑んでまた蒸し作業に戻った。
(この人、ひと言も喋らないな。耳が遠いのか?いや、何か病気なのかもしれない)
祐太郎は特に気にせず、しばらく商店街を奥のほうまで歩いてみたが、奥には寺に続く道や住宅街に続く道があるだけで、観光できるような場所がありそうな気配ではなかったので、引き返すことにした。
先ほど饅頭を買った店におばあさんの姿がなかった。奥に引っ込んで休んでいるのだろう。
それにしても、ここは不思議なところだ。ほとんど人の気配を感じられない。いや、気配がないというより生活音や話し声がしないのだ。
もし誰かがいるなら、話し声くらい聞こえてもいいものだが。
祐太郎は軽い寒気を感じながら、ちょうど来たバスに乗り込んだ。
祐太郎を乗せたバスが見えなくなると、建物の影からいくつかの人影が出てきて、バスの去ったほうを見ていた。
人々は何事もなかったように、それぞれ用事をするため商店街を歩き、寺では住職が夕方5時を知らせる鐘を撞いた。
ゴーン、ゴーン、ゴーン、ゴーン、ゴーン
夕暮れの空をカラスが数羽飛び立っていった。
ホテルに戻ると、祐太郎はロビーの椅子に座って上司の森田に電話をかけた。
「あ、もしもし花坂です。お疲れさまです。・・・はい、こちらは無事に終わりました。明日の昼には出られますので。・・・はい、お願いします。は~い」
電話を切ると、部屋の鍵をもらいにフロントへ行った。
鍵を受け取り、先ほど訪れた村のことを男性スタッフに聞いてみた。
「この先にある『口無村』って知ってる?」
「『口無村』・・・行かれたんですか?」
どうやら、そのフロントスタッフは村を知っているようだ。
「あぁ。出張で仕事が早く終わったから、どこか観光でもしようかと思って歩いてみたんだ」
「そうですか。あそこの饅頭は美味しいですよね。私も何度か行った際に買ったり、知人からもらって食べたことがあります」
「あ、そうそう。さっきその村で買ってきたよ」
と、祐太郎は土産に買った箱の入ったビニール袋を掲げて見せた。
「そうでしたか。特に観光地というわけではないようですが、その名物の饅頭や、のどかな山村の風景を目当てに訪れる人もたまにいるようですね。ただ、もしまた訪ねることがあれば、長居をしないように気をつけてくださいね。日中、村の中を歩くのは問題ないのですが、夕方5時を過ぎると、そこの住民ではない外から来た人は閉じ込められて元の世界に戻れなくなるという伝説もあるそうなので」
「え、そうなの?」
祐太郎は、驚いて一瞬言葉を失った。
「子どもの頃、祖父からそのように聞いたことがあります。まぁ、あくまでも噂だと思いますけどね」
「その村に宿はないの?」
と聞くと、
「ないみたいですね。昔は1件だけ民宿があったらしいのですが、跡継ぎがいなくなって辞めてしまってから、それ以来は。村から一番近い宿泊施設というと、当ホテルになるかと。
あ、でももしどうしても村の中で泊まらなければならなくなった場合は、なんでも山の上のお寺に行って、お札とお守りをもらうといいみたいですよ。それを持っていると、自分のまわりに結界が張られて、村の呪いから守ってくれるとかなんとか」
「村の呪い?なんか恐いね。それもお祖父さんから聞いたの?」
「はい。祖父は、古い言い伝えなどに詳しい人ですから」
そう言うと、フロントスタッフの男性は祐太郎にお辞儀して、仕事に戻った。
(ふ~ん)
にわかには信じられなかったが、祐太郎はスタッフから聞いた話を頭の隅に置き、部屋に戻った。
明日は、午後に出社する予定だった。
出張の疲れもあり、ビールを飲んで早めに就寝することにした。
テーブルには、昼間買った名物の饅頭がある。食べ歩き用の饅頭は冷めていたが、祐太郎は1つ食べてみた。
(冷めても変わらず美味い)
いつか、改めてゆっくり訪ねてみようかと思いながら、所用を済ませて布団に入った。
某オフィスビルの一室。
出張帰りの祐太郎が午後出社して森田に挨拶をした後、部署の社員たちに土産の饅頭を配って歩いた。
パッケージを見た同僚の坂口が、疑問を口にした。
「“口無村名物 口無饅頭”?これどこにあるんですか?」
「俺も初めて行ったから、よく分からないんだよ。仕事が早く終わったから、ついでにどこか寄ってみようかと思って歩いていたら、たまたま見つけて」
「ふ~ん。××県△△郡口無村1丁目54―68 田村商店」
「そこのばあさんが、店の前で蒸したてを売っていたんだ」
「うん、ちょっとしょっぱくて美味しいですね」
「だろ?」
他の女性社員も饅頭を食べながら、それぞれに感想を言った。
「どこにでもありそうな感じですけどね」
「でも村っていうくらいだから、けっこう寂れているんじゃないですか?そんなところで名物になるって、不思議ですよね」
確かに・・・と、祐太郎も思った。
(なぜあんな人気のない所で、名物の饅頭を売っていたんだろうか?まさか、時期によっては観光客が押し寄せたり、一部のマニアにだけ知られた場所なのか?)
「泊まったホテルのフロントスタッフに話を聞いたら、どうやら特に観光地というわけではないようだが、その名物の饅頭や、のどかな山村の風景を目当てに訪れる人もたまにいるらしい」
「へぇ。隠れ名所か何かなんですかね?」
「うん。気になるから、またいずれ休みを取って行ってみようかと思っている」
「じゃあ、また行ったらどんな所だったか話聞かせてくださいね」
「あぁ、わかった」
そして、祐太郎も社員たちも各々仕事に戻って手を動かした。
帰宅後、独身の祐太郎はコンビニ弁当で夕食を済ませ、ビールを飲みながらパソコンで「口無村」をネット検索してみた。
地図に示された印は、宿泊したホテルから少し先の空間を指しているが、建物や道路などの細かい表示は記載されていない。
(変だな。もしここに村があるなら、道や集落、フロントスタッフが言っていた寺が表示されるはずなんだが)
検索窓に「田村商店」の名前と住所を入力してみると、確かに存在するとは表示されるが、それ以上の情報はない。
(ん~、仕方ない。溜まっている有給を消化しに行ってみるか)
祐太郎は後日、休みを取って口無村を再訪することにした。