コリントの信徒への手紙1 10:13
"あなたがたの会った試錬で、世の常でないものはない。神は真実である。あなたがたを耐えられないような試錬に会わせることはないばかりか、試錬と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである。"
Holy Bible
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人生を思い起こすとき、私には大きく二つの試練があったように思います。

一つは、小学校低学年の時。
学校帰り、一人で歩いていた私に車に乗った男の人が話しかけてきました。
執拗に声をかけ、私を車にのせようとしました。
必死に抵抗して逃げましたが、この事は私の人生に大きな影響を与えました。

家から出れなくなり、かといって家に一人でいられなくなり、学校にも行けなくなり、私の両親は常にわたしと行動するようにしてくれました。
今でも歩いている横に車が停まったりすると心臓がバクバクします。

もう一つは不妊の期間です。
信仰が試される大きな出来事でした。

2つのことを振り返って思うことは、試練の最中に居るときに、私はこれが試練だとは思っていなかったということです。
みことばでは、試練とともに逃れの道を用意してくださるとあります。私の持っている聖書では「脱出の道を備えてくださる」とあります。
2つの出来事の最中の私は、絶対に脱出なんて出来るはずがはいから、私のことではないと思っていました。
特に不妊の期間は、私だけ主の恵みから外れてしまったと思っていましたから、この箇所が私に語られているなんて思いもよりませんでした。

主が備えてくださった脱出の道を潜り抜けたとき、試練だったなと気づいたような気がします。

まだ一つ目の出来事については脱出したかどうか自信はありません。
でも振り返って、話をしたりこうして記録することが出来るくらい癒されたと思います。
主が備えてくださった道、これから通るであろう新たな道にも期待します。