にんじんに感謝した日 | 不完全なままで完全である

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◇サイキックです、心のことのおたくです、保育士もやってます◇





数年前パリの八百屋で野菜を見つめていたわたし


『 野菜は何を考えているのだろう? 』




以前の記事 でわたしの食べ物についての思いを書いた


野菜の善し悪しは 農薬の有無で決められるものではなく


食材に対しての人間の思いが左右する


そしてそれには 「 恐れ 」があってはならないと




食べること


を見直そうと思ってからいろいろな食事療法を試した


沢山のHPを調べたり 本を読んだりした



でもそこには常に 


恐れ 


が根底にあるということを知った



どういうことか?


たとえば



食べる物にはこーんなに添加物が入っているんだよ

そして それはこーーーんなにカラダに悪影響だよ

だからよい食べ物を食べましょう


とか


若さを保ちたいなら これこれこういう生活をしましょう


とか


病気にならない食べ物とは?


とか




わたしは何度も繰り返す


そして自分にも問い続ける


 

そこに 野菜の気持ちはあるのか?


牛や鶏や豚や魚の気持ちは本当に理解されようとしているのか?




怖いから ○○を食べてはいけません → 恐怖


若さを保ちたい → 老いへの恐怖や否定


健康でありたい → 病気への恐怖



ほらね



完全人間中心視線になっているでしょう




こんなことをフツフツと感じ始めてからのある日




わたしはにんじんになった


にんじんの気持ちになってみたんだ



以下はわたしの妄想



   わたしは農薬を与えられて育ったにんじん


   本当は 自然栽培が良かった


   農薬なんてかけてほしくなかったけど 仕方がなかった


   

   わたしはそれでもずっと地面に埋まっていたい


   だけどわたしは人間に食べられるんだ



   そんな運命が決まっているのなら


   食べてくれる人間のために


   最後まで精一杯自分が出来ることをやろう



   人間のカラダに入って人間の命になろう


   わたしの命が役に立ちますように




冷蔵庫から出したにんじんを


こんな風に考えながら眺めていたら



涙が出て来た


愛おしくなって


「にんじーーんっ」


ってギューーと抱きしめたくなったのだ


かわいい わたしのにんじんラブラブ




そしてその時に思ったんだ



このことを伝えられる料理教室をいつかしたいと




でも


アイディア乏しいわたしには思いつかなかった


そして


一旦料理の仕事から離れることにしたのだ




野菜の気持ちを考え始めて数年が過ぎ


そして



昨日のこと


突然の出会いがやってきた



こんな風なわたしの思いと「全く」同じ考えを持つ人にあった



滝ノーラさん セラピストで喰っていく方法


  

「 わたし料理教室したいねん にんじんの気持ちになって作るっていう料理 」

ギョーーっとしました!!

本当におったまげました !!!

にんじんが巡り合わせてくれたのだと思った

だって野菜なんて何種類あると思う?

なのに・・・

ふたりともよりによって選んだ野菜は

 『 にんじん 』

にんじんの気持ちになる料理セラピー実現近し!!

夜の空にも虹はかかる

いつも最後まで読んで頂きありがとうございます*