作った柵は超えられる | 不完全なままで完全である

不完全なままで完全である

◇サイキックです、心のことのおたくです、保育士もやってます◇

あの人は「・・・な人だよね~」


なんて言ったり


しているichigoですが



これってichigo自身についても


「私って。。。だから」


って決めつけていることに他ならないのです。



自分の目から見る人の姿って、


「わたし」


という「フィルター」を通して見ているだけの話し。



つまり、


「わたし」の想像の世界に、


「わたしの」の経験の範囲に、


「わたし」の思いや感情の中にある



「記憶」



という物差しだけで相手を決めているんですね。




これが逆だったらどうでしょう?


たとえば


「君って 本当は寂しいんでしょ」


「君の中には悲しさがあるんだよ」


なんて言われたら。



「あ、そうか」



って思う時もあるけど、


大抵は



「決めつけるなよーむっ


という気持ちなったりするんですね。




こういうの、



「誰か」と「わたし」


の間だったらいいんですが、



「わたしは・・・・な人間だから」


という「自分に対して」の決めつけというのは、




「もうわたしは絶対そうだから、そこから変わりませんよ」



って宣言をしているようなもんなんです。




「わたしは寂しがり屋だから」


と言ったとしましょうか。




こう言ったら、


「寂しいわたしから変わりません」



ということになります。




自分に対する決めつけ


していませんか?



してもいいんだけど・・・




そういう場合は



「わたしは本当にしあわせな人だから!」


「わたしはいつもとってもラッキーだからぁ~」



という具合に


ちょっと雰囲気を変えてみるといいよにひひ




夜の空にも虹はかかる

☆今日も最後まで読んで頂きありがとうございます☆