しまった、早く帰ろうと思ったのに、もう6時。
今日はどうしても早く帰りたいって言ったのに、
けっきょくズルズルと仕事を押し付けられてこんな時間。
都内に住んでる人たちには、この苦労は分からないでしょうね。

あと20分で停電がはじまる。
憂鬱な時間。
急いで水を酌んで、お湯も沸かしておかなくっちゃ。

去年、少しばかり溜まったお金でオール電化にしたのが間違いだった。
50過ぎての一人暮らしだし、
最近少し物忘れも多いからガスより安全だろうなんて・・・。
東京電力の人もキャンペーンで奨めてくるからついつい。
けっきょく土鍋もお気に入りのヤカンも使えなくなっちゃって、
しかも停電の時は使えないんだから損した気分。

ああそうだ。
トイレに使う水も溜めておかなくっちゃ。
3時間はけっこう長い。
こんな寒い日はとくに注意。

あら、電話。
こんな時間に誰かしら。

やっぱり携帯電話がないと不便だわ。
断捨離にハマって解約しちゃったの、今となってはちょっと後悔。
友だちもそれほどいないし、家の電話だけで充分って思ったんだけど、
まさか停電のときに電話が使えないなんて考えていなかった。
って言うより電力不足で東京が毎日停電になるなんて想像できないもの。

はいはい、今出ますよー。

「もしもし、あ、お母さん。だいじょうぶ。元気にしとおるよ。
心配ないって。東京には放射能は来ないって言ってるし」

「うん、そうだね。あ、お父さんはどうしとる?
まだ医者に通っとるがでしょ」

「ああ、だったらいいんだけど。私のことはいいから、
お父さんの面倒だけ見といてね。お母さんまで倒れたら困るし」

「無理よ。もうそっちには恥ずかしくて帰れんが。
一人でやってるからいいって」

「うん、うん、分かった。じゃあ、お母さんも元気でね。
連休には帰るからね」

離婚してから、なんだか娘時代に戻ったみたいに世話を焼きたがる。
もう5年も経つんだから、私だって慣れてきた。
子供が死んで、亭主が浮気して・・・。
向こうに子供までできたんじゃあ、私が引くしかないじゃない。
たいして未練もなかったし。

あんなオトコ、呉れてやれ呉れてやれ。

嫌だ、もう6時20分過ぎてる。

あら、電気消えてないわね。
もしかしたら停電は中止になったのかしら。
だったらいいんだけど。

ああ、冷える。
トイレ、トイレ・・・。

あっ・・・・。
消えちゃった。

停電、中止じゃなかったのね。

しまった!水流しちゃったじゃない。
まだバケツに汲み置きしてないのに。

3時間、我慢するしかなくなった。

ああ、歯磨き用の水も酌んでない。
お湯も湧かせなかったわ。

お母さんが電話なんかしてくるから。

恨んでも仕方ない。
娘のこと心配で掛けてくれた電話だもの。

3時間、10時過ぎまで我慢して待つしかない。

それにしても東京がこんな真っ暗闇になるなんて。
窓の外もどこまでも真っ暗だ。
あ・・・遠いとこに微かに灯が見える。
別のグループなのかしら。

羨ましいな。
23区が停電しないのはなんでなのかな。
影響が大きいって言ってたけど、面倒ってことかしら。
どうせ少数切り捨てってことでしょ。
40過ぎて働き出したパートじゃあ、都内になんて住めないわ。

せめて今日は・・・、こんなに疲れて帰ってきた日は、
この時間帯に停電してほしくなかったな。

10時過ぎて解除されても、
そんな時間からお風呂入ったら髪の毛だって乾かない。
夜中だから洗濯機も回せない。

このメイクだって早く落としたいけど、
マンションじゃ電気が止まると断水するから顔も洗えない。

真っ暗闇ですることもなく、息を潜めて座ってるのが精一杯。

せめて計画停電地域には乾電池の支給くらいやってくれないのかな。

震災のあと、乾電池はどこの店からも消えてしまった。
とくに懐中電灯に入れる単1と単2。
昔通販で買った蛍光灯ランタンがあったんだけど、
中の電池はもう融けかかってた。
最初に入ってる電池って、どうしてあんなに安っぽいんだろう。
せっかく買ったのに、災害の時に役に立たないなんて笑い話よね。

なるべく無駄なものは控えてなんて買い置きもしなかったから、
こんなときは悲惨。
トイレットペーパーだって、あっという間にスーパーから消えた。
最近は、開店直後に行くと売ってることもあるらしいけど、
仕事してる身じゃあ、そんな時間に行けるわけがない。
土日は気合いの入ったお父さんを連れて車で来る家族連れが、
お一人様1個のものを子供といっしょに何度も並んでるなんて話も聞く。
残念ながらそんな人たちと張り合うだけの気力もない。
残り少ないペーパーを、小さく千切って使うほかないってこと。

それでもテレビでやってる避難所の様子なんか見てたら、
私の暮らしは贅沢なのかな。
離婚のときに貰ったこのマンション。
ローンは残ってるけど、一人で住まわせてもらってるんだもんね。

我慢、我慢・・・。

それにしても寒い。
灯も暖房も全て消えてるマンションって、こんなに寒いんだ。
いつもはきっとどこかの家の暖かい空気がウチにも伝わって来てたのね。

何分たったのかな。
時計も見えないから時間が分からない。

あ、そうだ。どこかにロウソクがあったはず。
子供の仏壇に立ててたやつ。
もうすっかり立てなくなっちゃったけど、たしか何本か残ってた。

でも、こんなに暗くちゃ探せやしない。

やだ、どっちに向かって歩いてるんだろ。

痛い!
何これ、テーブルの足?
じゃあ、反対側だわ。

テレビ台の引き出し。

ああ、あった。
うん。3本も残ってる。
これで数日は凌げるわ。

マッチ、マッチ・・・。
手探りでマッチ擦るのって、こんなに恐いのね。
あらやだ。先に燃えかす入れるお皿も探さなきゃ。

なんだか、昔テレビで見たなんかのゲームみたい。
何が入ってるか分からない箱の中に手を突っ込んで、
芸人さんがコンニャクとか掴まされて。
笑って見てたけど、きっと本人は恐かったんだろうな。

ああ、点いた・・・。
ロウソクの灯でも、ないよりは随分マシね。
でも、3時間点けっ放しにしたら、すぐに無くなっちゃいそう。
ロウソクも店頭にないらしいから、大事に使わなきゃ。

今の時間は・・・まだ7時過ぎ。
1時間も経ってないのね。
ガッカリだわ。
見なきゃよかった。

ああ、寒い。
冷えてきちゃった。

まだ3月。
東京はこの時期に雪が降るくらいだもの。

なんだか、少しお腹が痛い。
そう言えば、停電になるたびにお腹が痛くなるような気がする。
神経性のものかしら。
情けないわね。

あ、痛、タ、タ、タ・・・。

どうしよう、トイレ使えないし。
でも、我慢できない。

やだ、ほんとうに痛い。
へんな病気だったら嫌だなぁ。

ああ、やっぱり携帯電話は解約するんじゃなかった。

イタ、タ、タ、タ。

もう仕方ない。トイレ行っちゃおう。

今、揺れた?
また余震かしら。

え、やだ・・・長いわ。
まだ揺れてる。
恐い・・・。
助けて・・・。

あ、収まった?
良かった、やっぱりただの余震みたい。
テレビが点かないから、何が起こってるんだかさっぱり分からない。

なんだか、まだ揺れてる感じね。
これが地震酔いっていうのかな。

あら、リビングが明るいわ。
電気点いたのかしら。

違う・・・。
ロウソク?

やだ、布団が燃えてるじゃない!

どうしよう。
恐い。

消さなくっちゃ!
何で消せばいいの?
断水で水出ないじゃない。
バケツにも入ってない。

どんどん炎が大きくなってる。

やだ・・・立てなくなっちゃった。
誰かに連絡しなくっちゃいけないのに。
電話も使えない。

マンションだから火災報知器が鳴るわよね。
停電のときだって、バッテリーで動くって聞いたことあるし。
いつ鳴るの?

鳴らないの?

助けて・・・。
お願い、誰か助けて!

ああ、暖かくなってきた。
こんなときに何考えてるんだろ。
可笑しいよね。

分かってるけど、どうしようもない。

暖かいよ・・・。

涙が止まらない。
何もできない。

でもね、でも、とっても暖かいよ・・・。

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これはフィクションです。
ただ、いつでも起こり得る話だと思うのです。

「被災地に比べれば」
「被災した人たちに比べれば」と、
計画停電を受容れている人は多いかもしれません。

しかし、計画停電は、災害や不可抗力で起こる停電とは違います。

一企業の意思によって、ライフラインを止められるということです。
仕方ないからと、一部の人たちが受容れるべきものではないと
私は考えます。

みんなで話し合い工夫をすれば、
決して回避できないことではないのですから。

さらに言えば、
「だから原発は必要だ」などという議論に
決して結びつけてはいけないと、強く強く思っているのです。