時代小説 茶々姫秘話~太閤秀吉の女として~歓びも、哀しみも、我が生涯はすべて城と共にあったー | FLOWERS~ めぐみの夢恋語り~・ブログで小説やってます☆

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時代小説  茶々姫秘話~太閤秀吉の女として~

 

~歓びも哀しみも。
   我が生涯はすべて城とともにあった。~

豊臣秀吉の側室淀殿の波乱に満ちた生涯。
 浅井長政、お市の方の長女として生まれた茶々。
 織田信長の姪として誇り高く生きた女性の心の真実とは?
 誤解されやすい淀殿の生き方を同じ女性の視点で、共感を込めて
 描きました。

 落城まもない大坂城で交わされた淀殿と側仕えの少女の会話から
 今、明かされる秘譚。
 生涯に三度の落城の憂き目を経験した淀殿浅井氏の数奇な運命を描く。
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 最後まで話し終えた私は、眼前の娘を見つめた。せつは固唾を呑んで私の話に聞き入っていた。
「話の初めに私は太閤殿下との出逢いを偶然と申したが、あの紅い月を―父上さま、母上さまと共に天守の月を眺めた数日後に殿下と出逢うたのだから、もしかしたら、私と殿下の出逢いも運命であったのやもしれぬな」
「そのような経緯がおありであったとは―」
 せつが声を震わせると、私は微笑んだ。
「もう、はるか昔のことよ。何しろ、私が六つになるかならずのことゆえの」
 私は上唇を少し舌で湿らせ、続けた。
「世間は何でも面白おかしく言い立てるものじゃ。太閤殿下が我が母上に横恋慕しておったゆえ、母上にうり二つの私を側室とした―、皆がそう噂した」
 あるいは、それも真実の一端を語る話ではあったのだろう。母が何故、藤吉郎をそこまで毛嫌いしているか、その理由を知り得たのは、既に伯父信長の許に身を寄せてからであった。
 藤吉郎は若い頃からお市に恋い焦がれていて、一時は信長に本気で母を妻にと願い出て、信長の逆鱗に触れたこともあったらしい。そんな経緯があり、お市は藤吉郎を汚らわしいものでも見るような眼で見るようになったとか。
 だが、その理由を知った時、私が考えたことを母が知れば、衝撃のあまり卒倒したに違いない。
 その時、私は咄嗟に思ったのだ。
 私であれば、歓んであの猿面の妻になるであろう、と。
 更にその後、伯父上が光秀に討たれ非業の死を遂げ、私たちは母上の再婚相手柴田勝家の居城である越前北ノ庄城に赴くことになった。
 勝家は当時、織田家中を二分する中の一大勢力の一つであった。勝家に対抗するのが何と、あの男藤吉郎秀吉であったのだ。母上は大嫌いな男に伯父上亡き後の天下と織田家を託すのがいやで、秀吉の競争相手である勝家に嫁ぐことを決意したのだ。
 更に時代は動き、義父勝家はまたも秀吉に攻め滅ぼされ、北ノ庄城は落城、母お市の方は今度こそ良人に殉じ城と共に焔に包まれて死んだ。
 私、初、小督の三人の娘たちは落城間際の城から救い出され、藤吉郎の許へ引き取られた。
 流石に二人の父を殺した男だと思えば、藤吉郎を憎まなかった―と言えば嘘になる。だが、憎しみ以上に、私はあの男に惹かれていた。遠い日、曼珠沙華の咲く庭で芽生えた初恋はずっと消えることなく私の胸の底に息づいていたのだ。
 この世でただ一人、母の他に私を信じてくれると言った男だった。大好きな父ですら、私の言い分に耳を傾けようとはせず、小狡い初の味方だったというのに。
―もう、お泣きなさいますな。何があっても、姫さまは姫さまらしうに、この花のように凜としていつも前を向いていらせられませ。それがしは、誰が何と申そうとも、どこにおりましても、姫さまをお信じてしておりますゆえ。
 あの日の藤吉郎の言葉は、長い年月を経ても、私の心に温かく息づいていた。
「畏れながら、私もそのように思うておりましてございます。お袋さまは権力のために太閤殿下に泣く泣く御身を捧げられたのだと、我が父はそのように申し、私もその言葉をずっと信じておりました」
 せつが恐る恐る言うのに、私は笑んだ。
「そうか。されど、そのようなことは私にはどうでも良かったのだ。幼き頃よりひそかに恋い慕うてきたお方の妻になれると、たとえ側室でも、ずっとお側にいられると判った時、私は幸せであった。たとえ、それを他人がどのように噂しようが、言いたい者には言わせておけば良い。真実は、この身一つに秘めておれば良かろう」
「それでは、お方さまは初恋を実らせた、幸せなご生涯であったと仰せられるのですね」
 せつは涙ぐんでいた。
 私は低いけれど、はっきりとした声で応えた。
「そうじゃ。我が生涯は好いた殿御に添え、二人の子を授かりし幸せな生涯であった。武門に生まれしおなごは皆、政略のために嫁がねばならぬが、私は初恋を実らせることができた、稀有な果報者であったぞ」
 私は微笑むと、せつを見た。
「そなたの名は何と書く? 忠節の節とでも書くのであろうか?」
 一瞬、せつは場違いな質問に眼を見開き、ややあって応えた。
「いいえ、私の名は雪と書いて、せつと読ませまする」
「ホウ、それは珍しいな」
「父がつけましてございます。雪が積もるほど降った朝に産声を上げたれば、そのように命名したと申しておりました」
 今度はすぐに返事が返ってきた。
 私は幾度も頷いた。
「さようか。良き名ではないか。せつよ、そなたの無事を願う父母のためにも、そなたはやはり、この城を出るが良い」
 せつが烈しく首を振った。
「それは! いかにしてもできませぬ。我が両親も私が近江を出る際には、たとえ何があろうと、最後までお方さまのお側にお仕えするのだと私に申し聞かせておりました。されば、私がお方さまのお供をさせて頂くことを光栄に思いこそすれ、嘆き哀しむことなどありませぬ」
「せつ、たとえ口ではどのように申しておっても、親というものは心で我が子の無事を願わぬはずはない。そなたが無事に帰れば、必ずや歓ぶはずよ」
 私は懐から蒔絵の櫛を取り出した。母お市御寮人の形見である。
「これをそなたに遣わそう」
 せつは、蒔絵の櫛をしげしげと見つめた。
 朱塗りに芙蓉の花が蒔絵細工で施されている美しいものだ。いずれ名のある職人の手になるものに相違ない。
 本来であれば、息子秀頼の妻千に託すものであり、私自身もそのように考えていた。だが、私はせつ同様、千もまた落城前には実家である徳川方に帰そうと思っている。まだ千姫本人には伝えてはいないけれど、秀頼には予め相談して、諾との返事を得ていた。
 もう、落城の犠牲になるのは私だけで良い。せつにせよ、千にせよ、まだあたら先のある身を大義名分などという愚かしい理由でむざと散らすことはないのだ。
 この先、千はまた、どこかの武将に嫁ぐことになるだろう。家康が大事な政略の駒となる孫娘を捨て置くはずがない。たとえ秀頼と別れても、千はまだ十九、十分に若く美しい。
 また、千自身のためにもその方が良いのだ。たとえ政治的な結びつきであったとしても、これから千が嫁ぐであろう男と千が夫婦として互いに想い想われ、幸福になれば良い。
 私が太閤殿下と結ばれ、たとえ短い間とはいえ、幸せなひとときを得たように。
 今度、嫁ぐときのためにも、ここ(大坂城)での想い出は一つでも少ない方が良い。
「これは母お市の方の形見の品である」
 せつの顔色がみるみる蒼褪めた。
「そのようなおん大切な品を私ごとき者が頂くわけには参りませぬ。このような戦の最中とて、お側近くにお仕えさせていただくことにあいなりましたれど、本来であれば、私はお袋さまのお顔を拝し奉ることも叶わぬ身にございます」
 私は微笑み、せつの手を取り、空いた方の手で蒔絵の櫛をその小さな手に握らせた。
「いずれ、そなたも好いた男に巡り逢おう。そのときのためにも生命を無駄にしてはならぬ。頼む、生きて後の世に伝えてくりゃれ。淀は、茶々は幸せな生涯であったと。今宵、私の生命をそなたに託そう。されば、我が生命を託したそなたの眼で太平の世を見ておくれ。豊臣を滅ぼし徳川が築いた世の中がどのようになってゆくかを見届けて欲しい」
「―お袋さま」
 せつの瞳から大粒の涙がころがり落ちた。
 私はせつの折れそうな細い身体を抱きしめた。
 いかほどの刻が経ったのか。長いとも思えるし、短いとも思える時間、私はせつを抱きしめていた。
 初に要領よく立ち回られては、一人悪者になっていた私を母が優しく抱きしめ、耳許で囁いてくれたときのように。
「さあ、ゆくが良い」
 せつの身体から手を放すと、私はせつの背を押した。
 あの日、北ノ庄城が落ちる寸前、母が私たち姉妹の背中を押したように。
「ご無事をお祈り申し上げておりまする」
「そなたも達者での」
 空しい言葉だと互いにいやというほど知りながら、私たちは型どおりの挨拶を交わした。
 私は部屋の外まで行き、せつを見送った。
 せつは途中で幾度も振り返りながら、長い廊下を歩き去っていった。
 これで良い。
 皆、去っていった。
 これで心置きなく逝ける。
 太閤殿下と初めてお逢いしたあの日は、間違いなく今日、このときへと続いていたのだ。
 歓びも、哀しみも。
 我が生涯はすべて城と共にあった。
 いかに武門に生まれたおなごの習いといえども、さして長くはない生涯に三度もの落城を経験した者はそうそうおるまい。
 城の周囲は不気味なほどの静けさに包まれている。まるで、すべて生きとし生けるものが死に絶えてしまったかのような、この静寂。
 家康は瀕死の豊臣が息絶えるのを今か今かと待ち焦がれているのだろう。
 部屋に戻ろうとした時、大音響がしじまをつんざいた。
 ドォオーン、あれは恐らく、砲撃の音。また、徳川方が大砲を撃ち込んできたのだろう。
 さしもの殿下がお作りになった天下の難攻不落の名城も堀を埋められ裸城にされては、ひとたまりもないのは当たり前。
 遠くで女たちの悲鳴が聞こえた。
 皆、逃げたと思っていたのに、まだ残っていた者がいたとは。
 早く、早く城から逃れるように言ってやらねばならない。
 打ち掛けの裾を捌いて、悲鳴の聞こえた方へと歩き出そうとしたその瞬間、私はハッとして立ち止まった。
 少しだけ開いた廊下の小窓から、月が見えていた。燃え堕ちるかのような巨大な月が夜空を不気味に飾っている。
 あれは、遠き日、小谷の城で咲き誇っていた花の色?
 いいや、きっと程なくこの城を飲み込み、跡形もなく焼き尽くしてしまうであろう紅蓮の焔の色に違いない。
 月が、燃えている。
 私の瞳には、紅蓮の焔に包まれる城がはっきりと映じていたが、その城が幼い日に見た小谷の城なのか、母の生命と共に消えた越前北ノ庄城なのか、それとも、これから私たちの城が辿るであろう幻影なのかは判らなかった。
                                (了)