韓流時代小説 寵愛【承恩】~100日間の花嫁~俺の青い眼を綺麗だと言う王妃。妻子を守るー王の決意 | FLOWERS~ めぐみの夢恋語り~・ブログで小説やってます☆

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韓流時代小説 寵愛【承恩】
~100日間の花嫁~
 第二部  第三話 冬の足音 
 
前作「炎月」から6年が流れた。
国王英宗のただ一人の御子、紅順公主の母、殿としてときめくセリョン。
国王の寵愛を一身に集める中殿キム氏に周囲から世子誕生の期待がかかる。その重圧に耐えかねるセリョンだったが―。
ある日、「王妃の父」だと名乗る両班が現れた。
そんな中、英宗が溺愛する一粒種の王女が誘拐される。
―私はどうなっても良いの、あの子を無事に返して。
果たして、セリョンの涙の願いは届くのか?
陰謀渦巻く伏魔殿「王宮」で、新たな謀の幕が開く―。
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 重い瞼にひんやりとした感覚を感じ、英宗の意識は突然に覚醒した。瞼に誰かが冷たくてやわらかな布を押し当ててくれている。その心地よさに、英宗は衝動的に泣きたくなった。
 思い返せば、我が身は物心ついてから泣いたことがなかった。どんなに辛いことがあっても、いつも歯を食いしばり、ひたすら涙を堪えていた記憶しかない。早くに母を失い、守ってくれる人がいなくなったせいもある。
 父は可愛がってくれたけれど、義母はいつも父の前では貞淑で優しい仮面を被っていたから、父もまた真の意味で彼を守ってはくれなかった。
 泣いても、誰も助けてくれない、慰めてくれない。だから、泣かないと幼心に決めていた。そのせいだろうか、誰に対しても心に垣根を築いて、一定の距離を置いてしか相対せなかった。
 なのに、チョン・セリョンだけは違った。軽々と彼が作った垣根を跳び越え、彼の側に来て彼の脆く傷つきやすい心に触れた。触れただけでなく、彼女は彼の心を優しく包んでくれたのだ。
 セリョンの前で、彼は何度か泣いた。我ながら女々しい、情けない男だと思う。それでも、誰の前でも湧かなかった涙がセリョンの前では自然にわき出てきた。
―憶えておいて、あなたのこの蒼い瞳はこの世で一番美しいものよ。
―私はあなたのこの左の綺麗な瞳が大好き。
 彼の頬をつたう涙をぬぐいながら、セリョンは優しく彼に語りかけた。
 そんな女だからこそ、彼は生涯を共にするのはこの女しかいないと誓ったのだ。
 目覚めた時、英宗の視界に真っ先に映じたのはセリョンの美しい面だった。ただ、彼の愛する妻の顔は可哀想なくらい不安に翳っていた。やっと意識を取り戻したばかりだというのに、彼は咄嗟に妻を抱きしめてやりたくなった。力の限り抱いて、
―泣くな、俺はもう大丈夫だから。
 と、囁きたかった。
 だが、現実には情けないことに、彼は指一つ動かすのでさえ億劫で、身体は依然として重い岩となり果てたかのように意のままにならない。
「俺は―一体、どうなった?」
 彼の力ない呟きに、セリョンは泣きはらした真っ赤な眼で応えた。
「大殿の執務室で倒れたの。パク内官がすぐに御医を呼んでくれて、それからここに運んだのよ」
「病気か何かなのか?」
 もし、そうだったら困る。こんなに愛しい妻と可愛い我が子を残してなんて、心残りがあり過ぎて逝けるはずがない。
 紅順はまだ五歳だぞ? あの娘の花嫁姿を見るまでは俺は絶対に死ねない。
 セリョンはグスッと洟をすすった。何とも子どもっぽい仕草は、今の彼女には恐ろしく不似合いだ。俺も三十、セリョンも二十六になった。見かけはどこから見てももう気品溢れる王妃だけれど、こいつの中身は知り合った十六歳の頃とまったく変わらない。
 どんなに臈長けた美貌の王妃でも、心は俺がひとめで惚れた十六歳のお転婆な少女そのままだ。泣き虫で優しくて、自分のことより他人のことばかりに一生懸命になって。それが、二十歳の彼が出逢ってひとめで恋に落ちた十六歳の今の妻だった。
「病気なんかじゃないから、安心して。御医が言うには疲れをため込んでしまったらしいわ。ここに来て、それが一遍に出たということなのね」
「そう、か」
 英宗は頷き、また眼を閉じる。
 セリョンの耳に心地良い声が聞こえてくる。
「パク内官の話では、あなたは義父(ちち)上が訪ねてきて帰った直後に倒れたというけれど、何かあったの?」
―随分と深刻そうな雰囲気で、たまに殿下の大きなお声も聞こえてきました。滅多に大きな声など出されない方なのに、領相大監との間に何かあったのでしょうか。
 パク内官も心配そうに話していた。
 英宗は自分の笑顔が自然なことを祈りながら、微笑んだ。
「いや、特にたいした話ではない。パク内官やそなたが案ずるような内容ではないよ」
 セリョンが嘘をつくのが下手なのと同じくらい、実のところ彼も嘘は上手くない。聡いセリョンは恐らく今の彼の嘘を容易く見抜いたに違いないが、それを追及するほど分別のない女ではない。
 領議政との会話について話したくないという彼の気持ちをくみ取り、黙っていてくれるのだろう。
 だが、英宗の気がかりは領議政との会話よりもむしろ別問題にあった。
―もう一つ、殿下にお伝えしたい重要なことがございます。
 何かと訊ねた彼に対して、ソクチェは即答した。
―中殿さまの御事にございます。
 返す返すも、あれはいかにも意味深な科白だった。
 一体、あの男がセリョンの何を言おうとしているのか。領議政との会話なぞより、彼としてはよほど愛妻に拘わる話の方が重要だ。
 ゆるりと視線を巡らせば、ここは見慣れた大殿の寝所だった。寝台の傍らにセリョンが椅子を引き寄せて座っている。傍らの丸卓には金盥があり、セリョンは彼の額から取り去った手拭いを金盥の水に浸し固く絞っていた。
 再びひんやりとした心地良い感覚が瞼を覆い、彼はうっとりとその気持ち良さに身を任せた。
 セリョン、たとえ何があろうと、俺はそなたを守る。そなたと紅順とかけがえのない家族を守って見せる。
 幼い頃、彼はいつも孤独だった。か弱い母は元々心が弱いひとだったのだろう、義母にいびられてはいつも泣いてばかりいた。
 早く大きくなって母を守りたいと願ったけれど、母は彼が一人前になる前に自ら生命を絶った。母が逝って以来、彼は〝家族〟というものに憧れていた。
 異母兄のように、優しく頭を撫でてくれる母が欲しかった。小さなことでさえ歓んで褒めてくれる母を持つ兄が羨ましかった。そんな自分がやっと手にした、かけがえのない家族、愛しい妻と娘には何者にも手出しはさせない。
 だからこそ、礼曹判書のあの去り際のひと言が気になってならない。
 英宗はあのひと言について考えながら、また意識はゆっくりと深い眠りの底に沈んでいった。
「今はせめてゆっくりと休んでね。あなたはこの国にとっても、私にとっても代わりのきかない大切な人だもの」
 妻の優しい声に導かれ、王の疲れた心は安らかな夢にいざなわれた。それは、孤独な王が子どもの頃に何より聞きたいと希(こいねが)った母の子守歌にも似ていた。