【小説の神は細部に宿る】今も心に刻む恩師の言葉&初夏の花ネモフィラの花言葉は「成功」 | FLOWERS~ めぐみの夢恋語り~・ブログで小説やってます☆

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小説がメイン(のつもり)ですが、そのほかにもお好みの記事があれば嬉しいです。どうぞごゆっくりご覧下さいませ。

 

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皆様、こんにちは。

 

  今、近医の眼科から戻ってきたところです。

 

  ドライアイなので、目薬は必需品です、、、

 

  特にこの時期は意外と乾燥が烈しく、目薬がないと困るのです。

 

  今、最新作の校正作業の真っ最中です。

 

  いよいよ最終校正に入っているので、余計に気が抜けません。

 

  今日のところも、前にいったり後ろに行ったりと画面をスクロールさせて、慎重に何度も確認しました。

 

  校正作業で特に気をつけているのは

 

  ー小説の神は細部に宿る。

 

  という恩師の教えです。これはかの有名な小説家谷崎潤一郎さんの言葉らしいですが、

 

  私は恩師から学びました。

 

  これはあくまでも私の考えではなく、恩師から戴いた教えだとお断りした上で、お話しします。

 

  私が初めての本を出したのは二十代のときです。

 

  書き上げた長編を大学時代のゼミの教授に送り、読んで戴きました。

 

  その後、実際に先生にお会いする機会があり、色々とお話ししました。

 

  そのときの先生の言葉が実に印象的だったんですね。

 

  結局、恩師は私の原稿をすべて読んで下さり、出版社に送ることを勧められました。

 

 ーその節はお世話になりました。

 

  そう告げた私に、先生は

 

 ー国語ゼミの教授という立場上、学生から割と私のときのように作品を読んで欲しい、読んだ上で批評して欲しいと

 

  頼まれるんだが、私はそういうときは、はっきりと本人に可能性の有無を告げているんだよ。

 

  東さんの作品を読んで、これならまあ、いけると思ったから、本当のことを言ったんです。

 

  とても優しい先生ですが、どうやら小説の批評を頼まれたときは、本人に文筆の道を続けるべきかどうか、という

 

 ことは、きちんと告げているとのことでした。

 

  ーその人が可哀想だ、気の毒だと思って、甘いことを言って中途半端にしたら、その人は見込みもないのに、ずっと

 

  自分には合わない道を進むことになる。それはとても不幸なことだから、私はたとえ残酷だと思われても、

 

   文筆の道に向かない、可能性のない人にはそう告げているんです。

 

  更に、こんなことも言われました。

 

  ー私が可能性があるかどうかと判断するのは、何も作品の完成度が高いとか、優れた作品かどうかという

 

  点ではない。

 

  そこで初めて「小説の神は細部に宿る」という教えが出てきました。

 

  ー 一つの作品として完結しているかどうか、ただそれだけなんです。

 

  つまり、「小説」としての形ができているかどうか、その点で判断するのだと言われました。

 

  では、小説としての形というのは具体的にはどういうことなのかといえば、それは

 

  ー起承転結があり、すべての物語においてつじつまが合っていること。

 

   つまり、内容に矛盾がないということだと言われました。

 

   そして、更にこんなことも言われました。

 

  ーそんなのは当たり前というか、簡単だと思うかもしれないが、実はそうでもない。作品を書き上げたから読んで下さい

 

  と持ってくる人の中で、実はかなりの数の人がこの基本中の基本の「矛盾がない」作品というのが書けていない。

 

  良い作品を書けるという以前の問題で、書いた作品がきちんと小説という形で完結しているかどうかという

 

   基礎段階で文筆の道を進めるかどうかを判断するんです。

 

   そのときの教えは今でも心に深く刻み込まれています。

 

   作品を完成させた時、仕上げるまでには当然、校正作業を行いますが、

 

  一番気をつけているのが、この「内容に矛盾がないかどうか」という点です。

 

   読みながら、

 

  ーあれ、この場面は前半の流れからすると、ちょっと不自然すぎるのでは?

 

  という場面が後半で引っかかると、何度も読み直してチェックして、熟考して

 

  「何とか不自然にならない程度」にまでは訂正を行います。

 

  スッキリするくらいまで訂正ができることもあれば、かなり粘っても

 

  ーまあ、これくらいなら許せるか?

 

  という程度のときもあります。

 

 今朝もこの「不自然さ」が引っかかったので、何度も考え直し訂正を繰り返しました。

 

 かなり時間がかかりました。

 

 しかし、時間をかけなければならないときは、やはりかけるべきだと頑張っています。

 

 どうも、色々とお話ししてしまいましたが、逆にいえば、私はこのくらいしか

 

 執筆時に気をつけていることはないんです、、、

 

 所詮、才能も実力も華もなく、ただ「書くことが好き」という気持ちだけの人間なのでー

 

  ここから話が変わります。

 

  さて、この間は自分の誕生花はコスモスだというお話をしました。

 

  その繋がりのようなお話なんですが、良かったら、聞いて下さいね。

 

  去年の今頃、30年来の親友に贈るバースデープレゼントに飾り額を選びました。

 

  フレームを樹脂粘土のお花でアレンジして飾り付けます。

 

  手作りサイトで知った作り手さんにお願いしたんですね。

 

  その時、友人の誕生花と初夏の花を入れ、蒼色と紫系の花でとお願いしました。

 

  できあがった飾り額には ネモフィラが使われていました。

 

  恥ずかしい話ですが、その時初めてネモフィラというお花を知りました。

 

  花言葉は「成功」、詳しくは「どこでも成功する」だそうです。

 


  可憐で清楚な佇まいながら、どこか個性的なその花にとても魅了されたんですね。

 

  で、たまたま手作りサイトでネモフィラのブローチを見つけ、購入しました。

 

  今から一年前のことですが、去年は初夏から夏になるまでずっと愛用し、

 

 今年もまた時期が来たので、大切にしまっておいた箱から出しました。

 

  やはり、可愛い、でも凜とした花です。

 

  今年の友人への誕プレはブローチにしました。

 

  ただ、お花モチーフではありません。

 

  コチラは去年の冬にスワロフスキービースを使ったキラキラビジューのブローチを作っている作り手さんが

 

  購入。



 

  とても良かったので、冬中、使いました。

 

  何より丈夫なところが良い。私はズボラなので、つけっ放しにできるのが良いんです。

 

  なのでニットにつけたままにしていたんですが、まったく壊れませんでした。

 

  やはり自分が実際に使ってみて、これは良いなと実感できたものを贈りたい

 

  更に友人の好みを考えて、彼女の好みに合いそうなものを選びました。

 

  歓んでくれると良いなと思います。