
2023年4月14日19時に弘前城本丸へ到着。津軽藩歴代の殿様が居城した弘前城本丸は築城当初に火薬庫へ落雷した5層天守が焼け落ちたので現在見られる3層天守は2代目となります。江戸幕府からの築城許可が中々取れなくて3層の御隅櫓として江戸時代末期に建築されました。ロシア対策で北方警護と言う名目です。
それでも中々建築予算が捻出できず、格子窓が互い違いに設計されています。幕府の役人が視察に来た時は、みすぼらしい倉庫風の窓が見えるところから案内されたと言う史実が残っています。普段見慣れた長方形の窓は皆さんが見慣れた本来の弘前城天守閣です。
コロナ禍以降、弘前城と書かれたロゴのようなモノがさくらまつりでは天守閣の前に設置されるようになりました。観光客が絶え間なくロゴの前に陣取ります。

