閲覧注意。
マイナスなことしか言ってないので。
ブログを書かなくなった日からたぶん一ヶ月程経過したと思う。
うまく言えない気がするけど、まとめてみる。
ヤンゴンがセミロックダウンすることになり、そのタイミングで夫はお店の更新をキャンセルした。お店をたった3ヶ月程度しか営業できなかったのは残念だし、もちろん夫の仕事もこれからどうするのかと心配していた。しかし、それを上回る心配事がやってきた。夫の体調問題だ。
遡ること7ヶ月前。
ミャンマーへの帰国数日前、夫は突然の息苦しさで救急へ行った。このような経験はこれが初めてだった。
息ができず、このまま死ぬのではという苦しさに襲われ、しばらくすると収まるのだが、それがこの7ヶ月の間、ミャンマーでも頻発している。
もう何度ミャンマーの病院に駆け込んでいるのかわからないほどに。特にお店を閉める直前からはそれがひどくなり、時間帯に関係なく車に飛び乗り病院へ向かった。
結果から言うと、わからない。原因不明だ。陰性だとミャンマーで診断されたものの実はコロナ陽性だったのかもしれないし、後遺症なのかもしれないし、といった状況だ。しかし可能性という意味で考えられるのが、心疾患である。
ミャンマーの病院についての話だが、夫が駆け込むのは私立病院だ。予約でも救急でも、私立病院へ行く。
内容によるが、一回の診療や投薬で日本円の数万円が消える。ミャンマーでは高額だがそれでも可能な限りできることをしたい一心である。
しかし通えども何も出口が見えない。飲む薬の量も大量で、一つずつ効果や副作用を調べる。海外から輸入された薬がどのようなものか。一体何を服用しているのか。誰もそんなことは教えてくれないのだから、医者でさえ。
苦しさが続く中、ある日本人医師に出会った。日本人医師はこの状況について相談にのってくれた。その日本人医師と話していく中で狭心症というキーワードが浮上した。
夫は未だ何もわからず、原因不明のまま、薬漬けだ。
絶望の核心。
日本であれば狭心症の確定診断にホルター心電図という24時間レコーディングできる心電図を使用するのが一般的であるらしい、なぜなら通常の心電図では、状態が落ち着いているときに測ってもほとんど意味がないため、24時間計測する。日本なら地方の病院でもホルター心電図はあるのが普通のようだ、しかしヤンゴンの病院ではホルター心電図がどこにもないだろうということ、そしてミャンマーの医者はおそらくホルター心電図の存在さえも知らないだろうということ。
この話をまとめると、もし狭心症だったとして、現在のヤンゴンの病院ではどこへいっても狭心症だという診断はなされない、なされにくい。ホルター心電図がないなら、苦しいその数分の間にピンポイントで心電図検査をするしかない。
そしてもし、今の状況が狭心症だとして、これを放置したらどうなるか。
心筋梗塞が考えられる。
そして義母。夫の母は心筋梗塞により大手術を受けた経験がある。
義母は狭心症ではなかったか?それは日本だったら見抜けたのでは?ミャンマーだから見抜けなかったのでは?義母の手術にはシンガポール人医師が執刀した。ミャンマーの外科医への指導などでシンガポールから訪れていたため、緊急手術に立ち会った。ではその医師が執刀しなかったら?ミャンマー人が執刀していたらどうだったか?助かったのか?そんな考えで私は支配されそうになった。夜が長かった。このまま消えていなくなりたいと心から願った。
そして私は思考停止した。停止しないと生きていけないような気がした。30代中盤、医療の心配はまだまだ先だと思っていた。しかし突然こうなることもあると身を持って知り、比較対象としての日本の医療について教授して頂いたり、自分たちで調べたりすることで、ミャンマーの医療に絶望した。そしてある程度の医療を受けるため金銭的にも惜しんではいない。だからこそ、もう希望が持てない。これ以上をことを、医療行為を、ミャンマーでは受けられないのだろうと自分の中で感じたからだ。
毎日、自殺するサイトを眺め、どうやったら死ねるのか検索し、その度に安堵している。
私の死が、夫や夫一族にとって良いのだと思い込むようになってしまった。そして、確信した。私は子供を作らなくて良かった、正解だった。現実に向き合えず、自殺を願う人間のもとに、子供など存在してはいけない。子供がいなくて良かったと確信が持てたことは、この体調問題によって導き出された答えだった。
日々に絶望しないようにするためなのか、思考停止状態で毎日が過ぎている。これからはどうなるのか。
いや、どうするのか。
思考停止の私にはもう何も考えられない。