2024年スタート | lala sunshine…

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浪人を経て医学生になったぽん太と私大理工生のたぬ吉と何歳になってもかわいい〜トイプーもふ子の母です。
浪人時代の振り返りを終え、子供達のことに加えて日常のことも書いていこうかな〜と思っています。よろしくお願いします。

昨年末、

毛布に包まった状態で過ごしてしまったら…

さあ、大変!


だって…やっぱり、ある程度は

家を

片付けたい!

磨きたい!

となってしまう。


それに…

新年のご挨拶や

年始の食材を買いに行かなきゃいけない!


とラスト、尋常ない慌しい日々を

送る羽目に…


体調も万全でないのに

あーあ…

私って一体…と

思う暇もなく、


あっと言う間に

時間は流れ…


気づけば、

2023年ギリギリ

お節を詰め、

お正月となりました。


新年を迎えた感がない まま…


元日昼、

私の父も来て、

食卓を囲み、


全てを片付けて、


さぁて、

ブログを…と思ったら…




地震の速報と

続くニュース…



母には、被害にあった地域には、

知り合いはいない。


でも、ズキン ズキン と胸が痛む。



NHKのアナウンサーが

避難を即す声に、

涙が出そうになる。



そうだよ、逃げて!

お願い!

あの悪夢が来ませんように!


と繰り返し、切に 思う。




ぽん太とたぬ吉が

まだ小学生だった時…


近所の方と玄関先で

話していたら、

突然、地面が揺れ始めた。


慌て、玄関ドアを押さえた。

足が揺れで とられながら、

ただただ呆然と

我が家の車が波打つ地面に

大きく揺らされているのを見つめた。


その後、混乱した。


子供達が通う小学校から

「お子さんは、全員、学校で待機。

迎えに来てください」

とメールがきた。


たまたま、休みだった父が二人を

迎えに行った。

私は、集まる近所の方たちと

周辺の被害を確認していた。



すると、

道の向こうから

学校にいて父の迎えを

待っているはずの

たぬ吉が私に手を振りながら

現れた。


一人で…。



え?父は?ぽん太は?


と聞くと…



地震前には

すでに

下校していて、

地震発生時は、

一人で通学路を歩いていた

らしい。



急に視界がおかしくなり

大きな揺れに気づいて

慌て、

近くにあったアパートの

ブロック塀で囲われた

ゴミ置き場に

避難して座り込んだ と言う。


近くを歩いていた

年下の同じ小学校の子も

慌て来たから二人で

隠れたようだ。


でも、不安になり…

近くにいた大人に

「ここで大丈夫ですか?」と聞いたが、

返事はなかった と。


その大人の

余裕のない様子に

さらに不安が増して、

かなり怖かったようだ。



我が下町の場合は、

安全に避難できる場所を探すことが難しい。

倒壊の恐れがある建物はあちこちにあるし、

道路はギリギリ車が一台が

通れるか?の狭い道ばかりだ。


町工場も多く、色々なものを軒先に

積み上げている。



一応、

◯◯があったらこうね は

教えてきた。

が、

何も役に立たなかった。



たぬ吉が身を隠した

ブロック塀が崩れていたら…


怯えを隠すように

やたら喋る

たぬ吉を抱きしめた。



その後、

ぽん太は、無事に父と下校来てくれた。




母は、

学校からの

「全員、学校で待機 

迎えに来た児童から

帰す 」

となっていたのに、

すでに下校の児童はいた。

と言うことが

気になった。



そのメールには、追加で

「お仕事や事情があって

親御さんが帰って来れない場合は、

学校が預かる」となっていたからだ。



働いている親御さんの子が

たぬ吉のように

下校後の地震だったら。

その時に何かあったら。

でも、

親御さんは、学校なら安全 と思ってしまう。

もし、

一晩、親御さんが帰って来れなかったら?


母は学校に連絡し、

1学年2クラス ✖️ 6学年 計12クラス分の

下校状況を

確認して、

◯年◯組はすでに下校 と

訂正するようにお願いした。



体調不良で欠席だったたぬ吉のお友達がいると

わかると

シングルマザーのママに

「一人でお留守番なら

迎えに行って、うちで預かる」と

メールした。


そんな風に次々と浮かんでくることをしながらも、

正直、

家族が揃っている が

何よりだった。



だからこそ、

今、不安な人に

今、困っている人に

出来ることをしなくては…としか

思えなかった。



怖いはずだもん。

辛いはずだもん。

子供達も

子供を飛んで迎えに行けない親御さんも。



お節介上等!!の気持ちだった。



ようやく、19時頃に

落ちつき、

さぁ、今夜の買い物に行かなくては と

みんなでいつものスーパーへ。


が、甘かった。

スーパーは閉まっていた。

地震のために。


仕方なく、近くのコンビニへ。

が、

何もなかった。


何件回っても同じだった。



驚いた。




その日の夜遅くには、

「都内近くの大きな工場が爆発して

近くに黒い雨が降るから気をつけて」

と言うメールがママ友から

何通もきた。


しかも、全てに

「これは、なるべくたくさんの人に

送るように」ともあった。


「これって 本当なの?

今、被災している人を考えたら、

こんな真偽不明な情報に

振り回されてる場合じゃない!」

と返信した。


いや、もっときつい口調だったな。 笑

この返信で 長い付き合いのママ友一人とは

疎遠になったし。



混乱はそんなふうに…

ちょっとずつだけど

しばらく続いた。





あの日の

車の揺れる映像を思い出したり、

たぬ吉がブロック塀を頼りに

しゃがみこんでいただろう姿を想像したり、

いまだにしてしまう。




これは、震源地から

遠い場所で経験したこと。

震度は5強だった。



被災者ではない。



でも、今でも

怖かったな と思う。

揺れも子供達の身を守ることの重さも

自分を含める町の混乱も。




2023年終わりも

2024年始まりも


らしい 迎え方ではないけれど、



大事な人には

笑顔でいてほしい。

いや、とりあえず、

無事でいてほしい。

無事でいてくれたら、

いくらでも笑える日はまた来る。



見知らぬ人たちにも

無事でいてほしい。

そして、

心穏やかに

過ごせる日を

一日も早く

迎えてほしい。


心から願う。




皆さんが

来年の今日、

大事な人と

穏やかに

過ごせていますように…