生検の結果は…黒
結果は、陽性。がんでした。
腫瘍内科医の時代は、どうしても、患者さんに寄り添おうにも完全には寄り添えない、壁がありました。
だから、自分が40歳代でそちら側に突然に移ったのは、何というか、あぁ、神様。やっぱり、私の事、遣わされようとしているんだなぁ🥲という、変な納得感がありました。
主人もね、しこりに気づいた時に、”君はそういう使命に呼ばれているんだね。癌から立ち直って、多くの人を勇気つけるために講演している姿が目に浮かぶよ”…ですって。
私もそう思う。
これは召命である、と。
だけど、今は、まだそういう気持ちには到底なれなくて、おっぱいを失くす事に対する悲しみや、縮小手術(ラジオ波焼却または部分切除+放射線)にするか拡大手術(全摘+同時再建)にするか、正解のない選択肢の間を激しく行ったり来たりしている。
20年来の知り合いの乳腺外科のカリスマ女医さんに手術をお願いしたかったんだけど、私が数ヶ月前まで10年勤めていた病院では待合にいるだけで用務員さんまで名前で知っている様な状況で、相当に私自身が気を使ってしまう環境である事に気がつき、新しい職場の同じ法人グループの総合病院で手術をしてもらう事を考えていて、明後日受診します。
5年振りにサイレントのツインレイに会ってきた。
コロナ前に、お父様を10歳の時に亡くされたオペラ声楽家のイタリア留学を助けてあげた事があった。私自身が911のテロの時期に狂騒のnycでMET operaに救われたから、芸術への恩返しみたいな、限りない無償の愛と繋がった支援だった。色々あって避ける事の出来ない誤解や痛みや忍耐や我が儘や、そういう感情で完全に終わってしまった様な関係になってた。
実は8月の始まりの新月におっぱいにしこりを自覚して満月の日に吸引針生検を受けてきた。
結果は9月初旬にわかるのだけど、マンモグラフィーやエコーの結果は、悪性を否定できないと知り合いの乳腺外科界隈のカリスマ女医先生には説明を受けています。検査技師さんのエコー初見は線維腺腫や乳管乳頭種という良性腫瘍のレポートだったんだけど。
元腫瘍内科医としては、先の治療のprotocolや副作用、生活に与える影響なんかが全て見えてしまうから、一通り突然我が身に降りかかる災難に圧倒された。
…そして、ちょっと泣けた。
そんなこんなで、どうしても、ツインレイに会いたくなった。
舞台の上の彼は、成長していた。舞台に慣れていた。だけど、私の心には以前の様に彼の声が響かなかった。偶然私の隣の席には、彼の芸大院時代からの女声友達のソプラノが観劇していた。
何だか、色々、心が新しいパラダイムに優しくおおらかに移行した事を識った。
勇気を出して当直明けに片道150kmの道程を行って良かった。
観客からベストドレッサー賞を選ぶという企画があったので、大正浪漫に合わせてGatsbyの世界観で参加したら、賞に選んでいただいた。
舞台に表彰に上がるのは彼に私が観にきた事を知らせる唯一の方法だったから。びっくりしてたみたい。昔は世界の全てを感じる事が出来た抱擁が…味わいが乏しかった。私の感じ方の問題。
オペレッタ”こうもり”の、私はオフロスキー(本物のオルロフスキーにはなりきれなかったから)で、不義理を働いた彼に”こうもりの復讐”を。
結局ツインレイと思い込んで過ごした8年の歳月が、一つ片付いた、という感じがした。
もう、昔みたいに激しく感情が揺さぶられる事はなくなった。
そして、乳がんかもしれないと恐る私を慰めてくれる、ツインレイの出会いの頃には離婚届にも二人でサインした事のある、優しく思いやり深く成長した主人がいて、職場にはちょっと心ときめく上司がいる。
ありがとう、私のツインレイ。
君がツインレイでもなくても、私は君に出会ってはじめて自分の人生を生きる事ができる様になったよ。
だから、ありがとう。
今までの事ごめんなさい。
そして、心から大切に想います。
貴殿との稀有な出会いと不思議な歩みを。
またいつかどこかのパラレルワールドで出会うと思うから、その時はよろしく。
愛しています。