boss



今日は、やん愚さんに練習を見てもらってから、阪大の寄席に行ってきた。

一回生のときと比べて、他大学の寄席に足を運ぶようになった。大学の特色が出るので面白い。

このあいだ、京都女子大学さんの寄席に行ったら bossとぴっぴと志栄駆と京都  参照(飛びます)、女性らしいかんじでよかった。土地柄もあってか、はんなりしている。

かえって、立命館大学はかなり異色だ。はんなりしているかんじがなく、割合無骨で、まじめなかんじである。

関西学院大学は現代的でスマートである。笑いに特化している感が強い。

大阪大学はセンスとテクがあって、お客さんに恵まれている。


  以下イヤな話だが、関大の落語というのを自分なりに解釈してみた。


1、落語大学というのは、ものすんごく落語に暑苦しい集団である。(現在の落語大学)



多分、他大学はそこまでしてないやろなあと思うことを、血ナマコになってやっているカンがあるのだ。

例えば、マンツーマン練習制度というものがある。これは、1対1で先輩に練習を見てもらうのだが、1時間ないしはそれ以上かかって、できなかったところをいちいち止めてもらいながらやる。これは落語大学の伝統であり、どうやら他の大学にはないものらしい。厳しい選抜制度もあり、「練習してねえやつはこうだ!」と鞭打たれるかの如く昼練のときに言葉の投石を受ける。マゾにはもってこいだ。


  2、落語大学は体感するをモットーとする。



落語を理屈で理解するのではなく、身をもって体験し、体言化することを表現の最たるものとするのだ。

つまりは、「できないなら、やってみなはれ」(サントリー)というラクダイアー精神にのっとり、牛を見に行ったり饅頭ばかり食べたり、酒飲んだくれたり豆腐をくさらせたりダンプを持ち上げようとしたりウドンばかり食べたりするのだ。それを、最も有効な成功への近道であるとする。その後習得したワザモノたちはいわば永久不滅の伝説となり、千代に八千代に語り継がれるかもしれない。



 3、 落語大学は、精神論を駆使する。



「感情をだせ」が、落語大学のゴールデンバットであり、「8時だヨ!全員集合」でいえばやにわにおちるタライの如き必須アイテムである。もはやなにもいうまい、貴様、「感情をだせ」の一言で片付くのだ。語彙の少ない人は、今後コレを使いましょう。

ちなみに、語彙力の豊富な人間の場合、この精神論は極限の一滴にまで凝縮されて発せられる。つまりはその金言たるものだ。



4、落語大学は、声をだす。



「声だせ」は、応援団のものである。しかし、我々落語大学は代々応援団の皆様にはお世話になっており、知己の仲である。(らしい) だからかはしらんが、とにかく声がでかい。昼飯を食すためサンモリッツまでおりていく道すがら、声がでかすぎて人に迷惑をかけていること必須である。 これも、「声だせ」「声が小さい」「声はらんかい」とサンベンシヘンとどつかれていくうちに身につくものらしい。



5、落語大学は、サンモリッツに落ち着いちゃう。



慣れなかったサンモリッツも、半年たてば我が家のようになっちゃうよ!



以上でした。