特異点理論、続編 | 近藤 智 Blog

特異点理論、続編

要するに人は誰でも精神や肉体ともに「特異点」をもって一応埋めれてきます、コンティニュア的観点から(けっして2元論もひていしません)特異点が高く生まれてきた人はそれを解消するのに早い人はより才能があり、解消の速度が遅い人ほど才能がないとというかより一般的大多数と言えるかな、また特異点が低く生まれた人は解消にそれ程解消するのに一般的に時間がかからないかかかる人もいるでしょう、こういう人はより普通の人というかややというか、世の中で言う今問題になっちる「精神・身体障碍者」のようなものですかね、世の中は不平等で現実的に生まれてきます、でも国家という知的レベルの高い特異点の高く解消の早い日本で言えば受験でよりより大学に入れてしまうような人々がその現実の差異を福祉的法的システムで平等化=不平等という特異点の解消をすることになりますし、感性的に波長の高い芸術的に特異点の高い人々は俳優さんや歌等でその差異を解消しようとしてその才能で人々の気持ちを和ませようとしますよね。哲学的な解釈論は昔はロゴスやパトスと言う言葉、今はシニフィエやシニフィアンなどと言いますが、私は「特異点」という言葉を使って何とかこの世の差異を私なりになるべく俯瞰的に解釈しようとしたのです、とりあえずここまで。

ここで主に特異手の低く生まれて解消の度合いが低い何故か否定的なイメージを自己の内部・外部に持っている障碍者というような人々等そうでなくても現状の不条理性を感じてコンプレックスを持っている人々は、特異点が高くより解消の程度の高い人に近づこうと努力・苦労をして追いつこうとしたり、例えば暴走族の人が弁護士になったり、目の見えない盲目の人が、例えば辻井さんのような人はコンプレックスなどなかったかもしれませんが、ピアニストになっているという現実、こては特異点が身体的精神的に低くても、その分高い人々から愛をもらう=特異点をその高い人々は解消の対象を自己だけでなく他人にも分け与える愛を注ぐようなことをしようとします、だからと言ってでは特異点の低い人が何もしなくてもいいというわけではありませんよね、ただ面白いか特異手の高く解消の程度が早い人=天才的な人々はたまに「自殺」tぽいう手段で人生空間を早く終えてしまう現象もありますよね、だから低い人もそれ程逆に言えば悩みがないというようなある意味で悩みがあっても天才や秀才の人々の悩みはわからないでしょう。

また特異点の高低に関係なく、今の自己の特異点に満足しない人は時々、犯罪やとっぴょうしのない行動を、努力という解消を経ないでしますよね、せっかく国会議員というある意味で特異点の高く解消の速さが早い政治的能力の人々が社会的不平という社会的特異点を経済的社会身分的に平準化平等化しようと法改正してきたのに、我々や国や芸術部門や全てを含めて、法からはみ出た行動をすると、例えば個人なら民法や刑法で司法という特異点エリートの集団の方々が出番になるケースですし、個人事業主や会社的には取締役さん等が独占禁止や法に反して特別背任をたまにかよくしますよね、こういう時は行政が出る番ですね処罰するために仕方ありませんね、現行の法律に鑑みてです。上記のように個人的社会的世界的(戦争のような不条理性も含めて)特異点の善意解消と悪意解消もありますね、あと私はコンティニュア的に私自身の使っている用語である「特異点という用語」はその用語は間違っているすなわち否定的な人たちからすれば非特異点論者という意味でダイコトミーですね、とにかく私は私なりに少ない経験ですが「特異点という用語」を使ってなるべく包括的に世界権を展開したまでです、「世界にたった一つの花」「夢の途中=特異点の解消の途中の努力という肯定的な人生観」は歌にありますよね、さて一握りのパワーエリートや芸術家等は自分の子供に自分と同じかそれ以上の特異点を求めてしばしば子供は反抗したくなりますよね、よく芸能記事や一般のニュースで学歴職歴の高い人ほど生まれてくる子供に期待する高い特異点の程度が半端じゃないかもしれませんちょね、つまりそれだけ高い人々ほど重役さんも含めて悩みというか特異点の解消が自身は早くてもそれなりに苦悩や不安も大きいかもしれませんね。普通科障害的な人々からはおそらく到底りかいできないかもしれませんね、「だってそんな自信が才能や知性や感性に恵まれてるのに子供に更に高い特異点を期待するなんて子供の自由を奪っている」等と考えたり感じたりするかもしてませんね・