転生したら読書家になった件⑥死ぬ瞬間 の感想 | バイクとCAFEと

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「死ぬ瞬間」

読み終えました。


おもしろかったです😄
それと同時に、内容が重いぶん苦しくもありました。




この本は小説ではなく
精神科医が重病に苦しむ人と面談して分かったその心情と、医師や看護師、家族がとるべき行動を考察、まとめたものだと思います


後で知ったんですが
末期医療の世界では「聖書」と呼ばれているそうです。


僕も重病患者の家族だったことがあって、こ
の本に興味を持ったのですが、あの時どう思っていたのだろう?あの時ああしてればとか、色々と患者の心について考えさせられました。

それと同時に、ノンフィクションの映画を観た時のような感動させられる部分もあったり、この心理学的な考えは普段の人間関係にも当てはまるなーと発見があったりと、当事者でない人にも読ませるおもしろさがあったように思いましたニヤリ








ここから
少し細かく感想を書きます

長いし、まとまってなくて読みづらいと思いますんで(^o^;)、興味ないかたはスルーして下さい











この本の1/3くらいでしょうか

患者自身から教えてもらう
そういうスタンスで行われたインタビューの様子が、そのまま書かれています。


患者 いいえ。先生方はいつもお忙しいんで…。

医師 今度、先生をつかまえて聞いていただけませんか。

患者 先生方の貴重なお時間を割いていただくと思うと、なかなか…。

牧師 こういう考え方は、さっき彼女が言った人間関係とそう違わないですね。



患者と会話をして学ぶ
当たり前のようにも思えるこの事が、なかなか難しいみたいです。
それも末期医療の患者には、死という重い話がつきまとうからなおのこと。


本人に告知すべきか?
そのあと死について語り合うべきか?

著者によると
告知はすべきであるという事でした。

著者はこの本を書くにあたって、200人に話を聞いたそうですが、告知されてない人も、なんとなく自分が重病だと気付いていたそうです。
そして知らされない事によって、医者に不信感を感じたり、家族には逆に気付いてないふりをしたり、その後の事、つまり死んだあとの心残りについて話ができなかったりすることでストレスが募って精神状態が不安定になる事が多いようです。

もちろん
言えばいいというのでもなくて、
「これで一切を失うわけではない(希望がある)」
「医師は患者を見放しはしない」
「共に挑む闘いである」
という事を伝えることで、患者にとって大きな励ましになるということでした。


死について話すのも良いという事でしたが、それもただ話せばいいというものでもなく
(当たり前だけど😅)

患者には、現実を直視しようとしている時期やそうでない時期があるということなんで、その辺を考慮して話すことが大事。


患者が辿る心の過程を
(人によって期間が違うし、重なったりもするが)まとめるとこうなるらしい

第一段階 否認と孤立
第二段階 怒り
第三段階 取り引き
第四段階 抑鬱
第五段階 受容


第一の 否認は
だれにでも最初に訪れるそう
「いや私の事ではない」「誰かのレントゲンと間違えたのかも」
そんな風に思う。
現実逃避にも思えるけど、ショックを和らげるために必要な過程だそうです。

僕の家族もそうだったんだろうか?僕が知らされて見舞いに行った時には、既に認めているようだった。治して働きたいと言っていた。


ただ受け入れる準備も出来ていないのに、例えば、さっさと「片付けよう」って思っている人から、告げられるべき時がきていないのに突然告げられたときなんかは、否認が通常より強くでたりするそう。

僕の家族はうまく告げられたのかもしれない
それか苦労してきたから、受け入れやすい性格だったのか





第二の怒りは
「どうして私なのか」「どうしてあの人じゃなかったのか」と考える。
否認がいよいよできなくなって、病気を認めた時、怒り、妬みといった感情が出てくるそうです。

家族やスタッフからすると、非常に対応が難しい段階。怒りがあたりかまわず周囲に向けられるからだそう。


この怒りからくる、不満や悲しみを聞いてもらえない事で不機嫌になって、周りに当たったり無口になったりする、本人も意識している訳ではないんでしょうけど。

やがてそういう患者を周りが避けだし、さらに孤立して不満や悲しみが増えていく。
その疎外は、また自分の敵意を正当化するかっこうの理由になってしまう
そんな悪循環が起こる。


けれど、このインタビューの後で、著者が患者の不満や悲しみについてうまく伝えて改善したところ、周りもそうだったのかと気付いてコミュニケーションをとるようになった
結果患者の心が溶けていき、優しくなって、周りも優しくなる
そんな悪循環から良循環への劇的な変化があったそうです。

著者は感謝されて
「生きてる限り、あなたのことは忘れません」そう言われたそう

著者は、
その期間がそれほど長くない事は、私にも彼にも分かっていたけど、時間の長短は問題ではなかった。
そう振り返っています

患者は亡くなってしまったんでしょうけど、不満や悲しみ、やがては恨みでいっぱいになっていたかもしれない心が、この対話によって解消され感謝して逝けたんだな~と思うと感極まるものがありました。




第三 取り引きは
「避けられない結果」を先に伸ばすべくなんとか交渉しようとする段階だそう。

「神は私をこの世から連れ去ろうと決められた。そして私の怒りに満ちた命乞いに応えて下さらない。ならば、うまくお願いしてみたら少しは便宜をはかってくださるのではないか」
そう考える。
子供が親におねだりするときに、良い子にするから買ってーという。そんな感じみたいです

心理学的には、約束は秘密の罪悪感と関連しているそう。
その患者は教会にきちんと行ってないことに罪悪感を感じていたり、無意識に敵意に満ちた願望があって、罪悪感を感じていることもあるそう。
その為に罰を受けたくなったりするそうなんで注意が必要なこともあるみたいです。

たしかに、普段の生活でも、何かをサボっていたりして罪悪感を感じている人間が、逆に誰かをやたら責めたりする場面をみることがある
罪悪感はけっこう厄介なもんかも🤔まあ罪悪感を感じてるって事は良い人間なんかもですが



第四 抑鬱
手術、再入院、体力低下、痩せてくる、もはや自分の病気を否定できなくなると苦悩や怒りは、喪失感にとってかわるそうです

プラス治療と入院が長引けば、経済的な重荷も加わる。
家族の負担だって増える。
子供がいれば、その子の将来が心配になる

そして
死期の近い患者には、この世との永遠の別れのために心の準備をしなくてはならない

これらの事から患者は抑鬱になっていくそう

僕の家族も一気に落ち込んだ時期があった。
医者から、もう希望がないと告げられた後だった。
あれはどうだったんだろう?この本には告げた方がいいとあるけど、言わなかったらもう少し長く生きれた気もする。伝え方を変えたら良かったかも。今となってはわからないけど



この抑鬱の段階で
悲しむなよ、などと言ってはいけないそう
悲しむことで、目前に迫った自分の死をもっと楽に受け入れることができるし、抑鬱の間、悲しむななんて言わずに側にいてくれた人に感謝するだろうから



第五の 受容
この段階になるまで、患者はかつて持っていた様々な感情、生きている者や健康な者への嫉妬、まだ死を直視する必要がない者への怒りを表明し、多くの大切な場所や人々から切り離される喪失感を嘆いてきた。

それがある程度の期待を持って、最期の時が近づくのを静観するようになってくる。

この段階では患者は疲れきり、たいていは衰弱がひどくなっている。
感情がほとんど欠落して、ある患者曰く「長い旅路の前の最後の休息」のように感じるそうです

ここで家族が、
患者が生きる事に執着し過ぎると、せっかく受け入れようとしている死を受け入れられず苦しむことがあるそう。

尊厳死というもの、そう単純でもないんでしょうけど、生きながらえさせればいいというモノでもないんでしょうね。

うちの家族は、この段階には到達してなかったと思います。
もう少しうまくやれたら受容して安らかにいけたんだろうか。

ただ思ったより時間がなかった。
死にいたる命の減りかた?のようなものが、後で物凄く違和感があった
命を数字で表せるとしたら、病気になって90、70、50、と減って最後の日に一気にゼロになったような感覚だった。

もう少し30、20という期間があれば何かできた気がするけど、どうなんだろ?結果論かな
なんにせよ、僕は死について理解できてなかったんだろう。


罪悪感という言葉が出てきたけど、
僕にも罪悪感がある。仕事が大変で、いや言い訳かな、あまり見舞いに行けなかったこと。
行ってもその家族が気を使うだけかとも思った。
あと亡くなった時、もちろん悲しかったけど、どこかでホッとしている自分もいたこと
その事が僕に罪悪感を感じさせて、それまでとは違う不自然な自分になった気もする。

多分姉夫婦も罪悪感を感じていたのかも。後でなんか言い訳のような事を言っていたし、それだけが原因でもないだろうけど、あれから疎遠になってしまった。


家族の病気と死。
まあ時間が経って、別に僕はいま元気にやってますが、難しい問題であることは確かです。











最初この本は
末期医療の世界で聖書になっていると書いたけど、著者自身は最初にこう言っています。
「この本は瀕死患者をどう扱うかという教科書として書かれたものではない ~中略~ 患者を一人の人間として見直し、彼らを会話へと誘い、病院における患者管理の長所と欠点を彼らから学ぶという、刺激に満ちた新奇な経験の記録にすぎない。」

たぶん
著者は、瀕死患者についてのマニュアルのようになることは望まななかったんじゃないでしょうか。
こういう研究をはじめたキッカケが、医療現場で患者が物のように扱われた事だったといいますから
教科書どうり末期患者はこう扱えばいいんでしょ?そんな風になっては、著者の本意とは逆行してしまいます。

患者一人一人違うんだから、それぞれと対話して不満や不安、心残りな事、どうしたらいいのか聞いて、対応していく。
それが著者の望んだことなんじゃないかと思いました。



ちょっと長くなりすぎたんで
この辺で終わります





長々と
読んで頂いてありがとうございました
爆笑




ではでは