お久しぶりです!
おひさしぶりです!
ブログ更新してなくて申し訳ありません。
ちゃんと色々と仕事をしてたのですが、ちょっといそがしすぎました(;^_^A
最近はと言えば、お客さん達と冬バイク作って温泉行ったり、
夏場に向けレース用エンジン作ったり、2サイクルの研究をしたりしています。
僕の冬用NSR80です。
タイヤはこんなんです。
みんなで十勝岳温泉の陵雲閣まで行きます。
富良野からですと、約30キロ。標高差で1000メートルを一気に駆け上がります(=⌒▽⌒=)
動画も撮ったので見て下さいね( ´艸`)
下りの方が面白いかもしれません。
登り動画
http://
下り動画
http://
春も近づいて来てだんだん忙しくなって来ました。
バイクも売れて来てます。
今年も皆さんよろしくです!!
びっくりした事
鈴鹿から帰って来てからも毎日非常に忙しく過ごしてました。
皆さんお元気ですか??(‐^▽^‐)
もう数日たってしまいましたが、サンマリノGPでモト2クラスでトップ争いしてた富沢祥也選手が亡くなってしまいました。 (ノ_・。)
昨年からの世界選手権参戦で将来を有望視されていた選手だったので本当に残念に思います。
テレビのインタビューでもとっても印象の良い好青年に僕は思っていたのでまったく知らない人とはいえ、がっかりです。 (´□`。)
がっかりしていても日々は過ぎて行き今日は久々に新しい技術に感動しました。
VFR1200のDCT(デュアルクラッチトランスミッション)です。
昨年からの世界選手権参戦で将来を有望視されていた選手だったので本当に残念に思います。
テレビのインタビューでもとっても印象の良い好青年に僕は思っていたのでまったく知らない人とはいえ、がっかりです。 (´□`。)
がっかりしていても日々は過ぎて行き今日は久々に新しい技術に感動しました。
VFR1200のDCT(デュアルクラッチトランスミッション)です。
納車直後に戻ってきてもらい試乗させて頂きました。
正直新しい技術にはあんまり関心の無いタイプの僕なのですが乗ってびっくりしました。
初めはクラッチレバーを操作(レバー自体が無い、シフトペダルも無い)出来ない事に不安を感じたのですが、本当に自然に走らせる事が出来ます。
ATでは無く、ミッションを使っているのでシフトアップ、ダウンにショックや、振動を感じそうなものですが、非常に丁寧に自動的にシフトしてくれます。(オートマとは違い機械がクラッチを操作してくれてシフトチェンジしてくれる)
例えるなら、タンデムシートに大好きな彼女を乗せていて、丁寧な操作で恐怖感を与えないように気をつけてバイク運転してる時のような感じ??
シフトアップもレーサーのシフターに付けてしまいたい位良い感じです 。
マニュアルモードにしても同様です。
反応もリニアです。思うまま動いてくれます。
ビックスクーターのギミックのようなマニュアルモードとは100倍くらい違います。
シフトダウンだってそんなに飛ばしてはいませんでしたがコーナーリング中にやっても大丈夫な位上手にクラッチ操作してくれます。
昔と違い最近のレーサーもシフトダウンの時アクセルを煽らなくてもエンジンの制御とバックトルクリミッターとクラッチレバーの操作でうまくシフトダウンして減速するのですが、それを指一本の操作で上手にやってくれる感じです。
シャフトドライブの変な癖もありませんでしたし、タイヤが少し転がってしまえば低速の安定性も抜群ですこの位の重量車になると。全く違和感無く乗れるって事は本当に大変な事なんです。
最近のオートバイで速い!!って事以外ではそんなに驚かない僕ですが、これには感動しました。(^O^)
レースに使えるバイクにも導入されたら面白いだろうな。
その時はクラッチレバーもシフトペダルも付いたまま、シームレスにDCTも使えるようにならないと信用出来ないけど(自分をね)(;´▽`A``
8耐。
簡単に言ってしまえば結果はリタイヤだ。
25日の午後1時半過ぎに僕らのマシンは走るのを辞めなければならない状況になった。
緊急ピットインして来た安孫子氏に話を聞き、
僕はミッションのシフトシャフト、シフトドラムのストッパーあたりだと判断した。
メカニック達は意識を集中させ、天ぷらくらいなら余裕で揚がるような温度になってるエンジンを開ける。
熱いなんて言ってるヒマなんか1秒だって無い。
エンジンから抜いたオイルは湯気が上がるくらいだ。
急いでクラッチを分解し、手を突っ込みシフトドラムを回す。
手で回るのが確認出来た。
「治る!!」僕は思った。
シフトシャフト等を交換し、クラッチを組みオイルを入れ、エンジンを始動する。
スタンドにかけたままでエンジンをかけシフトチェンジする。
異音がする。
僕は思った。
「終わった。。」
しかしコースを1周だけして確認してくると難波氏は言った。
難波氏はコースへ戻る。
1周だけで戻って来た難波氏はヘルメットを脱がずに首を横に振った。
緊急ピットインからこの間1時間。2時半を過ぎていたと思う。
諦めきれない僕らは急いでサービスマニュアルを読み漁りそしてシフトフォークの交換の可能性を探る。
無理だ。。
やがてクルー達を集合させた安孫子氏は言葉少なに言った。
「修復は不可能です。リタイヤ届けを出します。」
安孫子氏も難波氏も泣いていた。
皆肩を揺らしている。
どんな悲しいドラマやドキュメンタリーを見たって涙一つ見せないメカニックの川本氏も泣いていた。
どうやったらこの人を泣かせるんだろうっていつも思うメカニックの瀧川氏も泣いている。
僕は呆然とするばかりで涙一つ出ない。まだ修復出来ないか悩んでいた。
やがて難波氏が「本当にありがとう。このままじゃ終われないね」と僕に声をかけた。
その時やっと悟った。僕らの8耐は終わったんだと。
急に涙が出てきた。
「完走させれなくてごめんなさい」
これしか言えなかった。
7月21日早朝。僕らは鈴鹿へ向かうべく千歳発中部国際空港へ向かう飛行機に乗った。
偶然武石伸也選手も同じ飛行機で鈴鹿までのレンタカーの道案内役を買って出てくれた。
「なんてVIPな道案内なんだろうね。」
なんて話ながら、チームのまとめ役の松原氏、メカの瀧川、川本両氏と話しながら車を走らせる。
途中武石氏の案内で必勝祈願で鈴鹿の椿神社へ行った。
僕はゴッドもジーザスもブッダも全く信じてなんかいないけどココには正直恐れを感じた。そこはには間違い無く何か強いエナジーを感じずにはいられなかった。コケの生した木々が僕に歴史がもたらす生命力と神秘を感じさせた。
昼過ぎに鈴鹿サーキットに到着。
僕らの戦争が始まったのである。
到着して挨拶も早々にマシンの準備を始めた。
本当に鈴鹿は暑い。ピットの温度計は38度とか訳の解らない温度を指している。
扇風機は熱風しか出して来ない。
灼熱の中、現地で受け取る約束だった部品の装着。
暑さでちっとも作業が進まない。
数々のパーツを交換しホテルに着いたのは11時も過ぎた頃だったと思う。
22日も早朝からマシンの準備。車検及びフリー走行である。
車検はちょっとしたトラブルもあったものの無事クリア。
午後からのフリー走行でも多少のトラブルがあったものの難なくクリア。
おおむね順調だった。
夜には明日の夜間走行練習に向けて光軸調整等をやった。
今日も暑かった。信じらんない暑さだよ。ホント。
23日
公式予選だ。
難波氏、安孫子氏と予選を順調にこなす。
ココでトラブル発生。
第3ライダーの大和氏が転倒してしまった!!
大和氏は一生懸命僕らに謝る。でも悪いのは彼じゃない。
タイヤを十分ウォーマーで暖めてあげられなかった僕らのミスだ。
夜間走行練習までに治せば良い。時間は十分あるはずだ。
バラバラになったマシンの修復に結局深夜までかかった。
夜間走行練習は結局Tカーで行った。
予選は33位で無事通過。とりあえずの難関はクリア出来た。
24日土曜日
今日はフリー走行である。
時間はちょっと少ないけど、タイヤ交換の練習もしたいし、給油の練習だってしたい。
明日に向けてのマシン整備だってしたい。
時間なんてあっという間に無くなる。
遅い時間になったがタイヤ交換の練習を行う。
初めての練習でも寄せ集めのメカニックでも交換作業は中々の時間でこなしてくれた。
みんな真剣そのものだ。
僕はもっと練習させたかったケド、みんな疲れてるみたいだし撤収する事にした。
ただ一つ、気になる事があった。
この何日かの鈴鹿生活で唯一他チームで知り合いになったオジサンに言われた一言だ。
「R1はシフトリンケージ使わないでダイレクトにしないと、シフト硬くなってミッション壊すよ」
僕は思った。
「そえば安孫子氏も5月のシェイクダウンの時からシフトしにくいって言ってたなぁ。でも今さら部品も無いし、OHの時シフトフォークの当たりも悪くなかったし、点検したから大丈夫」
位にしか思っていなかった。
これが先に書いた悪夢につながるなんてこの時僕はちっとも思わなかった。
この日も夜遅くにホテルに戻った。
25日いよいよ決勝だ。
朝一のフリー走行で決勝同様にピットインしてタイヤ交換、および給油しライダー交代し、フリー走行をこなす。
順調だ。
そして決勝。
難波氏がスタートライダーだ。
そして僕はルマン式スタートなのでマシンを支える役。
マシンを僕に預け、スタートラインに戻る直前難波氏が僕に言った。
「ありがとうね」
僕はココ何日かの疲れが吹き飛んだ。
そしてスタート。
順調に順位を上げる難波氏。大和氏に交代してからだってバンバン順位を上げる。安孫子氏だってそうだ。順調に順位が上がる。面白いくらいに。
最高で25位まで行ったと思う。
僕は安心していた。ひょっとしたら20位以内フィニッシュだって不可能じゃ無いかも知んない。
そんな時にトラブルはやってきた。
僕はひょっとしたら知り合ったオジサンの声は神の声(ココの神ってのはたぶん神社で会った神だ)だったかも知れないのにそれを無視したのだ。
黙殺したのだ。
鈴鹿中を探し回ればペダルだって用意出来たかも知れない。
当然ライダーに不安を与えたくないって気持ちだってあった。
でも注意は促がせたかも知れない。
これは僕にとってはまさしく戦争だった。
そして僕のせいでこの戦争に負けた。
皆に協力してもらい、そして向かった鈴鹿で十分に戦えなかった。
はっきり言えば死んで桜のごとく散れなかったのだ!
ジョーのように真っ白に燃え尽きれなかったのだ。!
僕にとっての戦いはまさしくこれから始まるのかも知れない。
今、僕は戦いに負けた心の痛みと手先の火傷の痛みとイラつきでまたしても寝れない夜をすごすのか。
鈴鹿へ行きたい。
25日の午後1時半過ぎに僕らのマシンは走るのを辞めなければならない状況になった。
緊急ピットインして来た安孫子氏に話を聞き、
僕はミッションのシフトシャフト、シフトドラムのストッパーあたりだと判断した。
メカニック達は意識を集中させ、天ぷらくらいなら余裕で揚がるような温度になってるエンジンを開ける。
熱いなんて言ってるヒマなんか1秒だって無い。
エンジンから抜いたオイルは湯気が上がるくらいだ。
急いでクラッチを分解し、手を突っ込みシフトドラムを回す。
手で回るのが確認出来た。
「治る!!」僕は思った。
シフトシャフト等を交換し、クラッチを組みオイルを入れ、エンジンを始動する。
スタンドにかけたままでエンジンをかけシフトチェンジする。
異音がする。
僕は思った。
「終わった。。」
しかしコースを1周だけして確認してくると難波氏は言った。
難波氏はコースへ戻る。
1周だけで戻って来た難波氏はヘルメットを脱がずに首を横に振った。
緊急ピットインからこの間1時間。2時半を過ぎていたと思う。
諦めきれない僕らは急いでサービスマニュアルを読み漁りそしてシフトフォークの交換の可能性を探る。
無理だ。。
やがてクルー達を集合させた安孫子氏は言葉少なに言った。
「修復は不可能です。リタイヤ届けを出します。」
安孫子氏も難波氏も泣いていた。
皆肩を揺らしている。
どんな悲しいドラマやドキュメンタリーを見たって涙一つ見せないメカニックの川本氏も泣いていた。
どうやったらこの人を泣かせるんだろうっていつも思うメカニックの瀧川氏も泣いている。
僕は呆然とするばかりで涙一つ出ない。まだ修復出来ないか悩んでいた。
やがて難波氏が「本当にありがとう。このままじゃ終われないね」と僕に声をかけた。
その時やっと悟った。僕らの8耐は終わったんだと。
急に涙が出てきた。
「完走させれなくてごめんなさい」
これしか言えなかった。
7月21日早朝。僕らは鈴鹿へ向かうべく千歳発中部国際空港へ向かう飛行機に乗った。
偶然武石伸也選手も同じ飛行機で鈴鹿までのレンタカーの道案内役を買って出てくれた。
「なんてVIPな道案内なんだろうね。」
なんて話ながら、チームのまとめ役の松原氏、メカの瀧川、川本両氏と話しながら車を走らせる。
途中武石氏の案内で必勝祈願で鈴鹿の椿神社へ行った。
僕はゴッドもジーザスもブッダも全く信じてなんかいないけどココには正直恐れを感じた。そこはには間違い無く何か強いエナジーを感じずにはいられなかった。コケの生した木々が僕に歴史がもたらす生命力と神秘を感じさせた。
昼過ぎに鈴鹿サーキットに到着。
僕らの戦争が始まったのである。
到着して挨拶も早々にマシンの準備を始めた。
本当に鈴鹿は暑い。ピットの温度計は38度とか訳の解らない温度を指している。
扇風機は熱風しか出して来ない。
灼熱の中、現地で受け取る約束だった部品の装着。
暑さでちっとも作業が進まない。
数々のパーツを交換しホテルに着いたのは11時も過ぎた頃だったと思う。
22日も早朝からマシンの準備。車検及びフリー走行である。
車検はちょっとしたトラブルもあったものの無事クリア。
午後からのフリー走行でも多少のトラブルがあったものの難なくクリア。
おおむね順調だった。
夜には明日の夜間走行練習に向けて光軸調整等をやった。
今日も暑かった。信じらんない暑さだよ。ホント。
23日
公式予選だ。
難波氏、安孫子氏と予選を順調にこなす。
ココでトラブル発生。
第3ライダーの大和氏が転倒してしまった!!
大和氏は一生懸命僕らに謝る。でも悪いのは彼じゃない。
タイヤを十分ウォーマーで暖めてあげられなかった僕らのミスだ。
夜間走行練習までに治せば良い。時間は十分あるはずだ。
バラバラになったマシンの修復に結局深夜までかかった。
夜間走行練習は結局Tカーで行った。
予選は33位で無事通過。とりあえずの難関はクリア出来た。
24日土曜日
今日はフリー走行である。
時間はちょっと少ないけど、タイヤ交換の練習もしたいし、給油の練習だってしたい。
明日に向けてのマシン整備だってしたい。
時間なんてあっという間に無くなる。
遅い時間になったがタイヤ交換の練習を行う。
初めての練習でも寄せ集めのメカニックでも交換作業は中々の時間でこなしてくれた。
みんな真剣そのものだ。
僕はもっと練習させたかったケド、みんな疲れてるみたいだし撤収する事にした。
ただ一つ、気になる事があった。
この何日かの鈴鹿生活で唯一他チームで知り合いになったオジサンに言われた一言だ。
「R1はシフトリンケージ使わないでダイレクトにしないと、シフト硬くなってミッション壊すよ」
僕は思った。
「そえば安孫子氏も5月のシェイクダウンの時からシフトしにくいって言ってたなぁ。でも今さら部品も無いし、OHの時シフトフォークの当たりも悪くなかったし、点検したから大丈夫」
位にしか思っていなかった。
これが先に書いた悪夢につながるなんてこの時僕はちっとも思わなかった。
この日も夜遅くにホテルに戻った。
25日いよいよ決勝だ。
朝一のフリー走行で決勝同様にピットインしてタイヤ交換、および給油しライダー交代し、フリー走行をこなす。
順調だ。
そして決勝。
難波氏がスタートライダーだ。
そして僕はルマン式スタートなのでマシンを支える役。
マシンを僕に預け、スタートラインに戻る直前難波氏が僕に言った。
「ありがとうね」
僕はココ何日かの疲れが吹き飛んだ。
そしてスタート。
順調に順位を上げる難波氏。大和氏に交代してからだってバンバン順位を上げる。安孫子氏だってそうだ。順調に順位が上がる。面白いくらいに。
最高で25位まで行ったと思う。
僕は安心していた。ひょっとしたら20位以内フィニッシュだって不可能じゃ無いかも知んない。
そんな時にトラブルはやってきた。
僕はひょっとしたら知り合ったオジサンの声は神の声(ココの神ってのはたぶん神社で会った神だ)だったかも知れないのにそれを無視したのだ。
黙殺したのだ。
鈴鹿中を探し回ればペダルだって用意出来たかも知れない。
当然ライダーに不安を与えたくないって気持ちだってあった。
でも注意は促がせたかも知れない。
これは僕にとってはまさしく戦争だった。
そして僕のせいでこの戦争に負けた。
皆に協力してもらい、そして向かった鈴鹿で十分に戦えなかった。
はっきり言えば死んで桜のごとく散れなかったのだ!
ジョーのように真っ白に燃え尽きれなかったのだ。!
僕にとっての戦いはまさしくこれから始まるのかも知れない。
今、僕は戦いに負けた心の痛みと手先の火傷の痛みとイラつきでまたしても寝れない夜をすごすのか。
鈴鹿へ行きたい。
「あくまで僕の主観です。詳しいレース内容はココで」
http://sabeder.jp/
http://sabeder.jp/
8耐に向けて。
8耐に向けて準備がいよいよもってヤバイくらい忙しくなって来ました。
そんな中、先日北海道新聞さんからの取材を受けました。
いろいろな話をしたのですが、どんな記事になるのか楽しみです。
その様子は北海道サベダーブログにもありますので見てみて下さい。
そういえば、6月15日発売のビックマシンって言う雑誌にも僕らのチームの事を書いてもらっています。
ぜひ、ごらんになって下さいね(^∇^)
まだまだ作らなきゃならない部品や準備は山積してるのですが、頑張ります!!




