以前からネットで人様の話を拝読していて、

「あなたのためを思って」という言葉に

過敏に反応する勢が一定数いることは周知していました。

 

あちこちで叫ばれる様子になれてきて私がよく思ったのは、

「あなたのためを思って」という言葉にはやたら反応するのに

その何が問題かわかってない話、多くない?

言葉への反射反応的で、内容と程度が滅多に語られないんですね。

 

そこで私が感じていた違和感の源は…

本質は、神経に触ることそのものの悪ではなくて当人を置き去りにすること

意思や希望や当人感性を無視すること、の問題点でしょ?

なんで言葉がアリかナシかという話にすり替わった?ってこと。

 

誰もがワード判定で、快不快を決めるわけではありません。

それ、言葉フェチ傾向ある人だけです。

水星が極端に強い方の感覚。言語判定で人生を紡ぐ人。

私は、極端な地雷ワードでなければ、大概、実行と意識判定なんですよ。

 

どういうつもりで何をしたか。

当人を無視してないか。 

意思疎通を図ったか。


言葉を聞きたくない訳でもないし、言葉でテーマの是非を決めてないのね。

そう感じない人に落ち着いて考えてと思うのは、言葉が神経にさわるようになった経緯。 

 

言葉への反応は、単なる二次反応にしかすぎないのに、

不快行為の実行とすり替えて自分にインプットしてるから。

 

自分の快不快撒き散らすのみで

全く他人への心遣いなく生きてる人なんていないし、

他者奉仕的な精神性自体は尊いけれど、

何かで当人感性や希望を無視する展開しつつ、

以後それに対して実行者が反省なく

「あなたのためを思って」とか言いだして、

更に自分への尊重もなく自己感覚をまだ投げつけてくるから、

その言葉を聞くのが嫌になったのでしょう?

 

言葉そのものに罪はないのかもね?

 

きっと嫌なのは言葉ではなくその行為の方。

自分の反応は仕方ないけれども、

時間とともに、似ていてあたたかなものに、少しでも届きますように。