私は昔から「効率」を重視するところがあります。
仕事でも、日常でも、つい「効率」を求めてしまう。
たとえば料理でも、出来上がる頃には洗い物まで終わっているのが理想──そういう傾向があって、
20歳の頃には、「1日3回も料理して、食べて、片付ける」という行為を繰り返していることに、人間ってなんて非効率な生き方をしているんだろう……と思っていました。
栄養が必要なら、栄養ドリンクのようなものを飲めば済む話。
わざわざ買い物をして、作って、片づけて……
その時間を他のことに使えたらもっと生産的なのに、と。
そんな私に、先日道を歩いているとき、突然こんな問いが降りてきました。
「じゃあ、マサコ。ここに花の蕾があったとして、“どんな花が咲くのかな”と思った瞬間に満開の花が目の前に現れたら、どお?」
ああ、なるほど。
蕾が日を追うごとに少しずつ開いていく姿を見ながら、「わー、こんなに開いた」「そろそろ満開かな?」って、そのプロセスを楽しむことこそが喜びなんだなあと。
子供のころ、ワクワクしながら朝顔の観察日記をつけていたことを思い出しました。
もし効率を優先して、そのプロセスを全部省いてしまったら……
種を植えた瞬間に、満開?
なんてつまらないんでしょう。
「これ、どんな花が咲くんだろう?」と思った瞬間にパッと花が咲く。
「お腹が空いた」と思った瞬間にパッとお料理が現れる。
それはまさに「高次元の世界」の仕組み。
でも、人間界は「そのプロセスを経験するための場所」なんですね。
そのプロセスの中にこそ、「待つ楽しさ」「作る喜び」「不安」「期待」「達成感」…
さまざまな感情が生まれてくる。
山登りだって。
麓に立って「頂上に行きたい」と思った瞬間に頂上へワープしてしまったら?
途中で見える景色や、足元の野花の美しさ、すれ違った人とのちょっとした会話、「まだかな」「もう少しだ」「頑張ろう」……
そして、最後にたどり着いたときの、「ついに頂上だ!」という達成感や喜び。
これらは、プロセスがあるからこそ生まれるもの。
人間界は、感情を体験するための世界。
なのに、効率を優先してその感情を生むプロセスを削ってしまったら……
「わたし、何のためにここに来たんだっけ?」
そんなことになってしまいますよね。
今さらですが。笑


