前ブログの続き

 

この岩の黒い部分が石炭なんだー

 

磨けばピッカピカの黒ダイヤになるのねー

 

あらためて、石炭とは

植物や樹木が埋まって地層になり、

数千万とか数億年という長い時間をかけて

地熱で蒸され続け、圧がかかって変質した

岩石のことで、

近代産業を支えたエネルギー源として

もてはやされてきた黒い宝石なのでした。

 

もっとも、

脱炭素が叫ばれる現代においては、

すっかり悪者扱いなわけだけど、

この野外博物館は、

石炭の地層だけではなく、

地球の活動が生み出した

さまざまな地質や地層を、

散策しながら見ることができる

エリアでもあります。

 

「垂直な地層」と命名されたこの崖は、

本来、水平であるはずの地層が、

地震などで押され曲げられるなどして

垂直に立ち上がった状態に変化した部分。

たしかに、

首を90度かしげて眺めてみると、

積み重なった通常の地層だというのがわかる。

続いて、荒々しい岩肌に

不気味に口を開ける黒い穴が出現。

草木が茂る薄暗い辺りの雰囲気からして、

「魔女の口」とか「地獄穴」

とでも名付けたいところだけど、

この穴は「狸掘り跡」と呼ばれてるそうな。

明治期から昭和の初めごろの採炭は、

手作業だったそうで、

垂直に伸びた石炭層を掘り進めた

不規則なトンネルが

狸の巣穴に似ているため、そう命名。

 

さらに遊歩道の奥へ進むと、

円柱が連なったトンネルが出現、

「ひとまたぎ覆道」と呼ばれるこのあたりは、

約5000万年前の幾春別層の地層と

約1億年前の三笠層の地層が隣接しており、

間にあるべきはずの5000万年前の地層が

紛失している珍しい場所。

で、その地層境界線をひとまたぎすると、

一気に5000万年を飛び越えられるという、

究極のタイムスリップを体験できるのでした。

では、なぜ5000万年の地層が

なくなったのかというと、

一度大地の陸化が起こり、

その間の地層が浸食され削られたからだと

考えられているそう。

案内板では、あくまでも「考えられている」

という推測で、

断定していないところをみると、

地中にはまだまだロマンが眠っていて、

謎を秘めたジオパークの魅力に

しばし取りつかれました。

 

残念ながら、境界線そのものは土に埋もれ、

直接見ることはできないそうだけど、

岩肌に変わった層を見つけるたびに、

世紀の大発見か⁉

と興奮しまくり。

 

遊歩道の折り返し近くには、

幾春別川沿いに古い建物が建っています。

明治43年頃につくられた温泉宿「神泉閣」で、

文人・大町桂月も訪れたそうな。

昭和10年に廃業してからは

保存計画もないのか、朽ち果てる一歩手前。

川沿いというよりは、

もはや水中に飲まれつつある感じ。

 

その先には

川がぐるりと急カーブを描く

景勝地「桂沢神居古潭」が。

案内板にあった当時の写真を見ると、

対岸には黒い煙がもうもうの蒸気機関車が

走っていて、大量の木材を積んでいるのが伺える。

良質のエゾマツやトドマツなどの木材を運ぶ

森林鉄道で、

昭和31年まで走行していたそうですが、

この写真ではたと気づきました。

今まで歩いてきた遊歩道は、

かつて

石炭列車が走っていた森林鉄道の線路跡だったと。

 

平成2年に一大整備された結果、

こうして石炭から地層、炭鉱施設まで

バラエティに富んだ見どころ豊富な散策が

楽しめる場所に生まれ変わったのでした。

 

本来なら、この野外博物館エリアは、

所要時間往復60分なんだそうですが、

ハマりまくった私は

さらに30分近く費やしました。

同行せずに博物館内で涼んでいた母には、

帰りが遅すぎるので、

娘と私がついにヒグマにやられたか、

と思われてた様子ショボーン

 

それにしても。

山の中の散策路なのに、

ヒグマの出没注意看板が

全く見当たらなかったのは、

何らかの対策を施しているからなのか。

日本ジオパークに認定されてる恩恵?

 

そんなこんなで

私と娘のちょっぴりリクエストで

訪ねた三笠エリアを後にしました。

 

 

次ブログへ