【5月9日(日)】
太子町のHPによれば...
「楯岩城(たていわじょう)は巨岩が文字どおり楯のように立ち並んでいるところから、名がつけられたといわれています。
地誌"播磨鑑"によれば、建武年間(1334~1338)に赤松則弘が築城し、室町時代の嘉吉元年(1441)、赤松満祐が室町幕府6代将軍足利義教を暗殺し、領国播磨で幕府方討伐軍に敗れ討たれた"嘉吉の乱"で落城したとあります。
やがて赤松伊豆守貞村が居城し、その後5代続きましたが、天正の始めに羽柴秀吉によって攻められ落城しました。
姫路藩士小屋左次右衛門が城跡に登って描いた見取図によると、現在テレビ塔の場所が本丸で、南と西北にのびる屋根上に、二の丸、三の丸があるかなり大規模な山城であったと記されています。」 とあります。
城跡西麓にある若王寺神社(獣除柵の外側に空きスペースがあり駐車可能)から登城。
所在 兵庫県揖保郡太子町上太田 登城
「活動記録」