45歳でママになる!
  • 12Nov
    • 高齢出産だから思う事

      高齢出産だから、日々考えるのだろうか?・あと何年、元気で生きていられるだろう。・パパが定年してからの学費…・ボケない為には、足腰を鍛える為には、何をしたらいいんだろう?・自分が死んだら娘を誰に託せばいいんだろう。最近は、娘の方がしっかりしてきている。すでに50歳を過ぎ、物忘れ、疲れが取れない、いろんなものについていけない。という現象が起こり始めている。そんな私を見て「も〜〜。ママ〜〜。」と6歳の年長の娘に言われている自分を自分で心配になってくる。何はともあれ、認知症にならないように、そしてコロリと逝かないように。。自分は苦しんでも、娘に心の準備をさせてあげてからあの世に逝けるように…神さまに毎日、お祈りしよう。。。

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  • 04Nov
    • ずっと気になっていること…

      高齢出産をした今思う事を、そして娘に私の思いを遺せるようにこのブログを続けていこう…今年の5月から、急遽、主人の実家に入り88歳のお義父さんと同居生活が始まった。。。同居するまでも仕事にNPOに、家事に育児に、婚活支援と忙しかったが、今はもっと時間がない…その分、仕事にかけられる時間が減った。。が、規則正しく18時頃からが夕飯の時間となった。同居は簡単な事じゃない。育ってきた環境、今までいた環境、食べるもの、習慣もまったく違う人達が一緒に住むのだから…親子でだって大変だと聞くのに他人なら尚更だ。。いや〜、最初はマジできつかったです💧💧💧お義父さんはもっときつかっただろうけど。。。そんな中、気付かされた事が一つある。それだけでも、同居した価値があると思う。それは「私は娘に助けられているんだ。」という事に改めて気付かされた。娘がいなかったら、すでに逃げ出していただろう。。😅娘に助けられているのは、私の一度目の結婚の時からもしかしたら繋がっているのかもしれない。そんな気もしていたけど、ある人から言われて「やっぱりそうだったんだ」と自分なりに納得できた。なのに、娘の為に今まで何をしてきたのだろう??反省がつきない…💧💧💧

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  • 31May
    • 妊娠してからはじめての幸せな時間…

      無事に出産が終わり、ホッとする間も無く、ほぼ一日中、搾乳→授乳の繰り返しと、出産後の縫い傷の痛さとの戦いの日々が待っていた通常、妊婦さんは、出産前におっぱいマッサージをするけれど、私は切迫早産で入院していたからマッサージはできなかった。なので、母乳も出にくい…赤ちゃんは2425グラムで出産だったから小さく、そのせいか乳首を口にくわえて吸うことができず、搾乳した母乳を哺乳瓶からあげなければならなかった。なかなか出てくれない母乳と、なれない搾乳に1時間近くもかかり、少し休むと母乳をあげる時間になり、終わるとまた搾乳…の日々だった。。友達がお見舞いにきてくれた時も、とにかくいつも搾乳していた気がする…出産後に体力消耗してる中、自分の格好なんかも気にしていられず、とにかく効率良くする為に、ベッドの上にあぐらをかいて、哺乳瓶を足で挟み、搾乳していたような気がする。。そして、出産後のおっぱいマッサージは痛かった…出産後、約1週間ほどの入院だっただろうか…とうとう退院する日がきた。売店行って、アイスコーヒーを買ってきて、退院前の病室に私と赤ちゃんと二人きり。静かでとても天気の良い日だった。幸せだなぁ。。と思った…その後、実家に帰ったのだか、駐車場と玄関の間に、少し段差の高い階段があるのだが、その階段を赤ちゃんを抱っこして上る事ができず、赤ちゃんを母親に預け、階段に手をついて、やっと上ることができた。72歳の母親は、そんな私を見て、さぞかし不安に思っただろう…4ヶ月近くものベッドの上での生活はで、かなりの筋力が落ちていたのだった…そして、実家に戻ってからも搾乳→授乳の日々がしばらく続いた…原始的な方法よりも、器具を使おうと搾乳機を買った。作業が楽になった。けれど相変わらず母乳の量は少なかった。とにかく搾乳を早く終わらせたくてがむしゃらに搾乳したせいで、乳首に後遺症?が残った😅そして、娘と二人の静かな病室でアイスコーヒーの次に幸せを感じたのは、主人がビールサーバーからヤカンに注いできてくれた冷えたビール‼️昼間、頑張って搾乳し続けて、母乳を貯めて準備万端にして、飲んだ久しぶりのビール。。今まで飲んだどんなビールよりも美味しかった…

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  • 27Apr
    • 45歳初産妊婦生活⑦

      大部屋の入院生活は、ちょうど一か月ほど続いた。売店行き放題だし、いろんな人が病室内を出入りするし、あの3か月の個室生活からしたら、何一つ文句なしの大部屋入院生活だった。それだけ、孤独や、身体の自由が奪われる(自由に動けない)生活は、辛いものなんだと思う。ほんの少しだけど破水があり、予定日より1か月ほど早かったが「このまま持たせるよりも産みましょう」となり。。とにかく動き回る事になった。歩いた、歩いた、歩いた、、、今までは、いつ出てくるか?と心配していたが、もう出てきてOKとなったのに、今度はなかなか出てきてくれなかった…結局、2日間ほど待ったけれど、まったく出てきてくれそうな気配がないので、陣痛促進剤を使うことになった。。この時も、いつ産まれるかもわからないので、私一人で分娩室すぐ脇の部屋で、陣痛促進剤の点滴をしながら、陣痛が来るのを待っていた。午前中から点滴したけれど、いっこうに陣痛らしきものはこない。。少しお腹痛くなったけど、看護師さんに「陣痛はそんなもんじゃない!」と言われ、未知の陣痛が来るのを一人待っていた。待っているとき、隣の部屋に今すぐ産まれそうな妊婦さんが入ってきた。パパも一緒みたいだった。壁一枚隔てて、すぐ隣りなので、話し声までよく聞こえた。二人目の出産みたいだった。そのうち、すごい叫び声が聞こえてきた!これからまだ体験したことのない陣痛を一人で待っていた私は、これからどんな痛く苦しい体験が待っているのか、ほんとーに怖くなったその妊婦さんが赤ちゃんを無事に出産し、また静かな部屋になっても、陣痛は起こらなかった。時刻はすでに4時過ぎ…「今日はダメかな…お部屋戻りましょうか。。」と看護師さんに言われ、「はい…」と言った後に、体験したことのないようなお腹の痛さがおきた。。これが本物の陣痛だった。。前日、お見舞いにきてくれた同級生から「力んで良いよ!って言われるまで、絶対に力むな!」と彼女達の失敗から学んだ有難いアドバイスだけは忘れなかった。きっと、そのおかげだと思うけど、すんなり安産で、娘を出産する事ができた。微弱陣痛始まってから2時間22分での出産だった。娘を取り上げてもらい、看護師さんが最初に発した言葉は「うわーパパ、そっくり!」だった。分娩台にあがりながら、思わず、「えっ⁈」と聞き直してしまった。気がつくと、分娩室の中には、今までお世話になった看護師さん達がたくさんいてくれた。。本当にありがとうございました。。そして、娘が産まれて、一番最初に駆けつけてくれたのは、主人でも、母親でもなく、友人のご主人だった。。

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  • 16Apr
    • おばさん…

      2月28日に、パパの三人娘の長女に女の子が産まれた私の5歳になる娘は、幼稚園の同級生に赤ちゃんが産まれ、みんながお兄ちゃん、お姉ちゃんになっているのを見ていたからか、自分も赤ちゃんが欲しいと、何度も私に言っていた。私は、「ごめんね。ママには赤ちゃんいないけど、◯◯ちゃん(パパの長女)にもうすぐ赤ちゃん産まれるから、そしたらイコはお姉ちゃんだよ!」と娘に話していた。その待ちに待った赤ちゃんが産まれて、娘はとても嬉しそうなのだか、自分が周りの人から赤ちゃんのお姉ちゃんではなく、おばさんと言われている事に、傷ついている事に最近、気がついた。昨日も、「あっやばい!」と思ったが、遅く、三人娘達から「◯◯は、おばさんだよ」と言われて泣き出してしまった。今日の朝、娘にちゃんと説明しなきゃと思い、なぜ、おばさんと言われるのか?おばさんと言われても気にするな、お姉ちゃんだと言っていいんだよ…と幼稚園に行くバタバタの時間の中で、彼女と話をした。また泣き出してしまった。。。そんな娘を見て、本当に申し訳なく、可愛そうに思えて、話をしながら私も泣きそうになった。。ごめんね高齢出産で、おまけに三人も娘がいる人と再婚してしまった私のせいだ。だけど、もうそうなってしまったから仕方がない…この状態を有効活用して、娘には育ってもらわないと!そして、私は娘の為に頑張ろう‼️

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  • 04Apr
    • 45歳高齢出産のリスク4

      もう8年ぐらい前になるのだろうか?結婚する前にすこーしだけ英会話を習っていた期間があった。英会話を習ったと言っても友達のような先生を囲み、英語で会話をするという、とっても軽い感じのものだ。その英会話の先生である彼女が結婚したこともあり私達のかるーい感じの英会話教室が終了し、しばらく疎遠になっていたのに、母子健康手帳の集団交付に行った時にばったり会場で会った事からまた交流が始まった。母子健康手帳交付の会場であった彼女は、とても不安そうだった。きっと私も同じように不安に見えていたと思う。声をかけた時の彼女の驚いた顔は今でも浮かんでくる…同じ時期に妊娠した事にびっくりし、偶然の再会を喜び、呼ばれるまで待っているわずかな時間の中で、彼女が自分の年齢を気にしているという事がわかった。確か彼女は、まだ38歳ほどだったと思う。「私なんて45歳だよ!38歳なんて、なんにも年齢気にしなくて大丈夫だから。」と、励ましにも気休めにもならない言葉しか彼女に返す事ができなかった。そんな彼女は入院もすることなく、私と一週間違いで、無事に元気な女の子を出産した。娘達は同い年、子供達も気が合う事もあり、年に数回、子連れで出かけたり遊んだりしている。そんな彼女と昨日は子供達を連れて、幼稚園児が登れる山に(登山というよりハイキングがあっているかな?)行ってきた。山の癒しと、暖かい天候のせいと、彼女との会話で、なんだかとてもリフレッシュできた。夜の鼻の詰まり(黄砂なのか?花粉なのか?)がとてもストレスだったけど、久しぶりに夜中に目が覚めずに朝まで眠ることがでした。娘達の小学校の話、その先の彼女達の進路について、仕事の事、ママ友の事…歩きながらいろんな話をした。娘達はまだ5歳、そして彼女とは7つほど年齢も違うけど、更年期の話もした。彼女は比較的若い時期から少しずつ症状が出ていたらしい…私もあちこちと更年期の症状が出ているようだ。更年期なのかストレスなのかが、いまいちハッキリしないけれど…そして私には、自身の身体的にいろいろ問題がでてくる更年期の他にも、年齢的な問題か?娘の育児に対して困る事が他にもある。1.言葉が出てこない。アレ、ソレがやたら多く、「アレ!」と言うと、5歳の娘から「アレってなーに?」と優しくてまはなく、半分怒り気味に聞かれる。2.言い間違いをする。娘を叱るにも、言葉がスムーズに出てこなく、おまけに言い間違いも多いので、娘にちゃんと内容が伝わらない。3.上記の2つは、私だけではなく主人も同じ。娘を叱っているときの主人の話をきいて「あー、私と一緒だ。きっと娘は何言われているか半分くらいわからないだろうなー」と思った。4.ママは忘れん坊だと娘から思われている。私より、娘の方がしっかり覚えている。以上は私にとって、高齢で出産した為に起こるリスクの一つだと考える。この前は、醤油差しの瓶と缶ビールを間違えて、醤油を飲もうとして娘に笑われた…娘には、どんな母親として映っているのだろう?身体だけじゃなく、脳を鍛えるのも必要かもしれない。ほんとうに時間がいくらあっても足りない…

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  • 29Mar
    • 45歳で初産妊婦生活⑥

      上げ膳据え膳、寝たいときに寝て、テレビを見たいときに見て、本も読み放題の快適だけど、毎食一人で食事をするなんとも寂しい個室の生活にやっとさよならするときがやってきた!8か月に入ったころだっただろうか・・・個室からさよなら=売店に行ける!!ずーっと転院してきてから売店に行くのが夢だった。うれしかったー病院の売店に行くのが夢で、売店に行けることでこんなにも喜べる自分をすごいと思った。その日から毎日の売店通い、そして病院内の散歩が始まった。大部屋に移ったので、入院している妊婦さんがいっぱいいたなにせ3か月も一人個室の生活だったから、みんなと話しをしたくてしょうがなかった。大部屋に移ってみると、私のベッドの向かいの妊婦さんはとっても辛そうだった。。微弱な陣痛?が来ていたのかお腹が痛かったらしい・・・楽になったときにいろいろと話しができた。どうやら私の隣の個室に4か月も入院していたらしい。上には上がいると思った。そして彼女は私より大変でずっと寝たまま食事と排泄をしていたとのこと・・・次の日には彼女は出産となったので、ほんの1日しか一緒の部屋にいられなかったけど、同志に会えたような、なんともうれしい出逢いだった。もっと彼女といろんな話をしたかったなぁ。。。なんて思う。彼女は無事に女の子を出産して、退院するときにわざわざ残りのテレビカードを、私に渡しにきてくれた。他にもいろんなママたちと出逢えた。双子を妊娠していて、片方の子の心音が弱く、帝王切開で急遽出産しなければならなくなったママ。23週で出産となってしまったママ。そのママとは、出産前に、私が元気づけられた「22週で産まれても元気に育っている子」がいる話をした。みんな不安を抱えていた。私だけではなかった。何事もなく出産できるのはあたりまえのことなんかじゃなく、本当に奇跡なんだと大部屋に移って改めて実感した。同志の彼女がいなくなって数日後に、とっても若い女の子が私の向かいのベッドに入院してきた。テレビをつけっぱなしで移動し、義理のお母さんに注意されていたかと思えば、女の子の実の父親はどっかの町の議員さんなのかしらないけれど、面会時間前に毎回きて、椅子を通路に置き、こちらが挨拶してもろくに挨拶もしてくれなかった。病院の入院にコネというものがあるのかわからないけれど、そんな話を実の母親が彼女にしていた。2週間ほどで彼女は退院していったけれど、退院時には旦那さんが私に挨拶をしたけれど、彼女はそのままスルーして病室を出ていった。たぶん、彼女が今日退院だというのに、旦那が「俺、今日、友達と飲みに行く」と言ったので、機嫌が悪かったのだろう。。。そんな楽しい大部屋の生活の中、その病院には散歩コースのような場所があり、よくそこに行っていた。入院中にいろんな本を読んだから、赤ちゃんはお腹の中から外を見ているという話しも読んでいた。私のお腹の中の赤ちゃんも、外の景色を見たかっただろうに、ずっと病室の扉しか見せてあげられなくてごめんね。。。なんて思ったら歩きながら涙が出てきたことがある。。周りに人がいたら、「この妊婦さん、ヤバイくない??」と、きっと通報されていただろう・・・あんなに人が恋しかったのに、こんな時は「一人っきりで良かった。」と思えた。。

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  • 10Mar
    • 45歳高齢出産のリスク その3

      最近、「長生きしなきゃなー」とつくづく考えることがある。私の娘には異母姉妹となるお姉さんが3人いるけれど、実質一人っ子と同じだと私は思っている。今、娘は年中さん。あと1年間、幼稚園があり、その後6年間も小学校に通わなければならない。それから中学・・・高校・・・と、考えただけでも気が遠くなってくる。自分の身体が持つのかどうか心配になってきた。昨年まではあまり感じなかったのだけれど、ここ最近、なんだか体調がすぐれない。。50歳過ぎると、身体にいろんな変調がくると聞いていたけれど、これがそうなのかな・・・最近、NPO法人の活動で、終活に関わる話をする機会が多々あった。延命治療、死について、後見人制度などなど。。常に、いつどうなるかわからないとう危機感を持ちながら生きることはとても大切だと思う。けれど、幼稚園の娘を育てながら、自身の延命治療についてや認知症になったときのこと、終活について考える機会があることを幸せだと思うべきなのか、それとも不幸だと思うべきなのか。。もちろん終活は娘の為にもしっかり行っておかなきゃならないことだと思うけれど、(たいした金額ではないけれど、彼女が受け取れるお金をしっかりと受け取れるように、そして彼女が私の死後どうしたらいいのかわからないことがないように)、自分自身の為にも自身の最期について、示しておきたいと考えている。そんなことを考えるから、「もしかしたらあんまり長生きできないのかも・・・」そして最近体調がいまいちだから、「もしかしたら病気かも・・・」とまたまたネガティブな考えが頭を支配しそうになる。娘がいなければ、自分が死んだあとに、何か気になることなんて、何一つないだろう。天国に行けば、お花に囲まれて、好きなものに囲まれて幸せに暮らせるんだから、逆に早く天国に行ってもいいくらいだ。けれど、私にとって一番怖いことは、老後の年金生活とかそんなことよりも、娘を一人残していかなければならなくなること。娘にはまだまだ伝えたいこと、一緒にやりたいことがたくさんある。まだまだ娘の成長も見ていたい。それができなくなることが一番怖いことかもしれない。叔母が雪道で転び、頭を強打して、一か月にもなるけれどいまだ入院中だったり、同級生が何人も病気で亡くなった話を聞いたり、延命治療、終活、認知症と、若いママには、ほとんど縁のないような話が私の周りにはたくさんあり、またそれが他人事の話ではなく、いつ自身に降りかかってきてもおかしくないような年齢だから、よりリアルに感じてしまうのかもしれない。娘の結婚するときには「寂しくて、泣くんだろうな・・・」よりも、「自分が生きているか?」が心配になる。。これも高齢出産のリスクの一つだろうか。とにかく娘との時間を大事にしよう!そう思っていても、娘よりも仕事が優先になったり、イライラして怒ったりと、思いはあるのに実行できていない自分がいる。こんなんだから、人に対して偉そうなことは言えないけれど、もし結婚したいと思っているのなら、本気で恋愛して結婚する勇気を持とう!そのためには、うまくいかない婚活なんてやめちゃって、本気で恋愛することが大事だと思う。相手は誰でも良いわけではない、けれど恋愛する相手で自分の未来が変わるわけではなくて、未来を変えるのは自分自身。だから誰と恋愛したって、誰と結婚したって、幸せになれるかどうかは自分次第で決まると思う。限界まで頑張ってダメならダメでしょうがない。100%うまくいくと保証された恋愛や結婚なんてどこにもない。一歩踏み出すのはとても怖い。ましてや責任を自分で負わなければならない場合はなおさら。。。だけどやらずに後悔するよりも、やって失敗して後悔するほうがどれでけいいか。この間、同級生と同級生の奥さんと飲む機会があった。同級生に「結婚した時よりも、今が一番幸せだろう?たぶん、お前の人生の中で、今が一番幸せなはずだ!」と言われた。言われてから気が付いた。そんなことしばらく考えていなかった。自分が幸せかどうかなんて・・・40歳すぎて恋愛がうまくいかず、泣きながらワインをラッパ飲みしていた人生最悪の頃に、50歳を過ぎてから幼稚園の娘と一緒に水着を着て海やプールに行ったり、スキーしたりボードをしたりする日々なんて想像していなかった。確かに、私の命は、炎天下のビーチや雪山で削られている。けれど、こうやって元気に、娘と一緒に、二度と来ない時間を過ごせていることを幸せだと思う。きっと、ワインをラッパ飲みしながら、居心地の良いぬるま湯から抜け出さずに、まぁいっか。。と諦めていたら、私の人生は、間違いなく後悔だらけの人生だっただろう・・・

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  • 13Feb
    • 45歳で初産妊婦生活⑤

      前回のブログで書いた「点滴の管を抜いて、窓から抜け出して、家に帰ろう!」衝動が収まり、頑張る事が出来たのは、たまたまついていたテレビ番組のお陰だった。全盲のご夫婦が赤ちゃんを産んで2人で育てているドキュメンタリー番組…それを見ていて涙が出てきた。たかが、何ヶ月かベッドの上で動けない生活をしているぐらい、赤ちゃんがダメになった訳でも、病気で入院している訳でもない私はまだ幸せなんだと思った。身体にハンデを抱えながら、一生懸命、2人で子育てをしている姿を見て、逃げ出そうとしている自分が、情けなく、頑張っている2人に対して、申し訳ないと思った。それから、こんな入院ぐらいで凹んでられない!と思えるようになった。寝たい時に寝れて、本読んだり、テレビを見る時間も好きなだけあった。上げ膳据え膳の入院生活は、戻りたくても戻れない幸せな時間だったんだなぁ。。。と、今思う。

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  • 10Feb
    • 45歳で初産妊婦生活④

      久しぶりの更新で、今更だけど、なぜBlogを始めたのか自問自答し再確認した。高齢出産する自分がとっても不安だった。。そんな時、インターネットで「高齢出産」検索をして、欲しかったのは、「高齢出産で、元気に無事な赤ちゃんを産みました!」「切迫早産で長期入院していたけれど無事に産まれました!」という高齢出産した方の情報だったことを思い出した。もしかしたら、今、切迫早産で入院中の45歳の初産のママがこのBlogを見ているかもしれない。そんな女性に元気を与えられるようにBlogを書くんだった。で、入院中のことをまた書こうと思う。前のBlogでも書いたけれど、とにかく暇だった。そして、ベッドの上から動けるのは診察の時だけ。ベッドの下に落とした携帯を拾うのにも看護師さんにお願いしないといけない・・・そんな状況が転院先の病院で約3か月続いた。1日が過ぎるのはとても早かった。けれど、1週間過ぎるのがほんと~に遅かった。妊娠6か月くらいの時だったかな?夜、寝ていたら、お腹が一定の間隔で、張るような感じがあった。今まで入院していても、お腹が張るという事がなく、どんな感覚なのかもわからなかった。けれど、そのすぐ収まるだろうと思っていた「張るような感じと鈍痛?」は朝まで続き、時間が経つにつれ、だんだんと強くなっているような感じがした。呼べばすぐに看護師さんが来てくれるんだから、呼べばよかったのに、そのうち収まると勝手に判断して、そのまま朝まで我慢していた。朝になって「これはダメだ。自然には収まらない。。」と思い看護師さんを呼んだ。毎朝やっているモニターの検査をしたら、やっぱりお腹が張っていた。そして検査をしてくれている看護師さんが「ストレスに強い赤ちゃんですね。お腹が張っていても、赤ちゃんは元気です。」と言ってくれていた。その言葉を聞いて、お腹の赤ちゃんに申し訳ないことをしていたんだと初めて気が付いた。私は自分で勝手に「もうすぐ収まる。」「我慢できるぐらいだから。」と判断して、看護師さんも呼ばずにいたけれど、お腹の中の赤ちゃんもずっとその間ストレスを受けていたんだという事を知った。次から、「何かあったらすぐ看護師さんを呼ぼう!」と心に決めた。その日を境いに、ずっとウテメリンという点滴だけだったけれど、さらに強い薬、確か「マグセント」という点滴も加わった。副作用の強い薬らしく、動悸がすごくて、我慢強い私にもさすがに我慢ができず、看護師さんに「苦しい」と言って、点滴で落とす量を少し減らしてもらった。しばらくマグセントとウテメリンという2本薬がぶら下がった生活が続いた。そのマグセントが入っていたころだったかな?「管を抜いて、窓から抜け出して、家に帰ろう!」と本気で思ったのは・・・

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