• 16Apr
    • おばさん…

      2月28日に、パパの三人娘の長女に女の子が産まれた私の5歳になる娘は、幼稚園の同級生に赤ちゃんが産まれ、みんながお兄ちゃん、お姉ちゃんになっているのを見ていたからか、自分も赤ちゃんが欲しいと、何度も私に言っていた。私は、「ごめんね。ママには赤ちゃんいないけど、◯◯ちゃん(パパの長女)にもうすぐ赤ちゃん産まれるから、そしたらイコはお姉ちゃんだよ!」と娘に話していた。その待ちに待った赤ちゃんが産まれて、娘はとても嬉しそうなのだか、自分が周りの人から赤ちゃんのお姉ちゃんではなく、おばさんと言われている事に、傷ついている事に最近、気がついた。昨日も、「あっやばい!」と思ったが、遅く、三人娘達から「◯◯は、おばさんだよ」と言われて泣き出してしまった。今日の朝、娘にちゃんと説明しなきゃと思い、なぜ、おばさんと言われるのか?おばさんと言われても気にするな、お姉ちゃんだと言っていいんだよ…と幼稚園に行くバタバタの時間の中で、彼女と話をした。また泣き出してしまった。。。そんな娘を見て、本当に申し訳なく、可愛そうに思えて、話をしながら私も泣きそうになった。。ごめんね高齢出産で、おまけに三人も娘がいる人と再婚してしまった私のせいだ。だけど、もうそうなってしまったから仕方がない…この状態を有効活用して、娘には育ってもらわないと!そして、私は娘の為に頑張ろう‼️

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  • 04Apr
    • 45歳高齢出産のリスク4

      もう8年ぐらい前になるのだろうか?結婚する前にすこーしだけ英会話を習っていた期間があった。英会話を習ったと言っても友達のような先生を囲み、英語で会話をするという、とっても軽い感じのものだ。その英会話の先生である彼女が結婚したこともあり私達のかるーい感じの英会話教室が終了し、しばらく疎遠になっていたのに、母子健康手帳の集団交付に行った時にばったり会場で会った事からまた交流が始まった。母子健康手帳交付の会場であった彼女は、とても不安そうだった。きっと私も同じように不安に見えていたと思う。声をかけた時の彼女の驚いた顔は今でも浮かんでくる…同じ時期に妊娠した事にびっくりし、偶然の再会を喜び、呼ばれるまで待っているわずかな時間の中で、彼女が自分の年齢を気にしているという事がわかった。確か彼女は、まだ38歳ほどだったと思う。「私なんて45歳だよ!38歳なんて、なんにも年齢気にしなくて大丈夫だから。」と、励ましにも気休めにもならない言葉しか彼女に返す事ができなかった。そんな彼女は入院もすることなく、私と一週間違いで、無事に元気な女の子を出産した。娘達は同い年、子供達も気が合う事もあり、年に数回、子連れで出かけたり遊んだりしている。そんな彼女と昨日は子供達を連れて、幼稚園児が登れる山に(登山というよりハイキングがあっているかな?)行ってきた。山の癒しと、暖かい天候のせいと、彼女との会話で、なんだかとてもリフレッシュできた。夜の鼻の詰まり(黄砂なのか?花粉なのか?)がとてもストレスだったけど、久しぶりに夜中に目が覚めずに朝まで眠ることがでした。娘達の小学校の話、その先の彼女達の進路について、仕事の事、ママ友の事…歩きながらいろんな話をした。娘達はまだ5歳、そして彼女とは7つほど年齢も違うけど、更年期の話もした。彼女は比較的若い時期から少しずつ症状が出ていたらしい…私もあちこちと更年期の症状が出ているようだ。更年期なのかストレスなのかが、いまいちハッキリしないけれど…そして私には、自身の身体的にいろいろ問題がでてくる更年期の他にも、年齢的な問題か?娘の育児に対して困る事が他にもある。1.言葉が出てこない。アレ、ソレがやたら多く、「アレ!」と言うと、5歳の娘から「アレってなーに?」と優しくてまはなく、半分怒り気味に聞かれる。2.言い間違いをする。娘を叱るにも、言葉がスムーズに出てこなく、おまけに言い間違いも多いので、娘にちゃんと内容が伝わらない。3.上記の2つは、私だけではなく主人も同じ。娘を叱っているときの主人の話をきいて「あー、私と一緒だ。きっと娘は何言われているか半分くらいわからないだろうなー」と思った。4.ママは忘れん坊だと娘から思われている。私より、娘の方がしっかり覚えている。以上は私にとって、高齢で出産した為に起こるリスクの一つだと考える。この前は、醤油差しの瓶と缶ビールを間違えて、醤油を飲もうとして娘に笑われた…娘には、どんな母親として映っているのだろう?身体だけじゃなく、脳を鍛えるのも必要かもしれない。ほんとうに時間がいくらあっても足りない…

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  • 29Mar
    • 45歳で初産妊婦生活⑥

      上げ膳据え膳、寝たいときに寝て、テレビを見たいときに見て、本も読み放題の快適だけど、毎食一人で食事をするなんとも寂しい個室の生活にやっとさよならするときがやってきた!8か月に入ったころだっただろうか・・・個室からさよなら=売店に行ける!!ずーっと転院してきてから売店に行くのが夢だった。うれしかったー病院の売店に行くのが夢で、売店に行けることでこんなにも喜べる自分をすごいと思った。その日から毎日の売店通い、そして病院内の散歩が始まった。大部屋に移ったので、入院している妊婦さんがいっぱいいたなにせ3か月も一人個室の生活だったから、みんなと話しをしたくてしょうがなかった。大部屋に移ってみると、私のベッドの向かいの妊婦さんはとっても辛そうだった。。微弱な陣痛?が来ていたのかお腹が痛かったらしい・・・楽になったときにいろいろと話しができた。どうやら私の隣の個室に4か月も入院していたらしい。上には上がいると思った。そして彼女は私より大変でずっと寝たまま食事と排泄をしていたとのこと・・・次の日には彼女は出産となったので、ほんの1日しか一緒の部屋にいられなかったけど、同志に会えたような、なんともうれしい出逢いだった。もっと彼女といろんな話をしたかったなぁ。。。なんて思う。彼女は無事に女の子を出産して、退院するときにわざわざ残りのテレビカードを、私に渡しにきてくれた。他にもいろんなママたちと出逢えた。双子を妊娠していて、片方の子の心音が弱く、帝王切開で急遽出産しなければならなくなったママ。23週で出産となってしまったママ。そのママとは、出産前に、私が元気づけられた「22週で産まれても元気に育っている子」がいる話をした。みんな不安を抱えていた。私だけではなかった。何事もなく出産できるのはあたりまえのことなんかじゃなく、本当に奇跡なんだと大部屋に移って改めて実感した。同志の彼女がいなくなって数日後に、とっても若い女の子が私の向かいのベッドに入院してきた。テレビをつけっぱなしで移動し、義理のお母さんに注意されていたかと思えば、女の子の実の父親はどっかの町の議員さんなのかしらないけれど、面会時間前に毎回きて、椅子を通路に置き、こちらが挨拶してもろくに挨拶もしてくれなかった。病院の入院にコネというものがあるのかわからないけれど、そんな話を実の母親が彼女にしていた。2週間ほどで彼女は退院していったけれど、退院時には旦那さんが私に挨拶をしたけれど、彼女はそのままスルーして病室を出ていった。たぶん、彼女が今日退院だというのに、旦那が「俺、今日、友達と飲みに行く」と言ったので、機嫌が悪かったのだろう。。。そんな楽しい大部屋の生活の中、その病院には散歩コースのような場所があり、よくそこに行っていた。入院中にいろんな本を読んだから、赤ちゃんはお腹の中から外を見ているという話しも読んでいた。私のお腹の中の赤ちゃんも、外の景色を見たかっただろうに、ずっと病室の扉しか見せてあげられなくてごめんね。。。なんて思ったら歩きながら涙が出てきたことがある。。周りに人がいたら、「この妊婦さん、ヤバイくない??」と、きっと通報されていただろう・・・あんなに人が恋しかったのに、こんな時は「一人っきりで良かった。」と思えた。。

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  • 10Mar
    • 45歳高齢出産のリスク その3

      最近、「長生きしなきゃなー」とつくづく考えることがある。私の娘には異母姉妹となるお姉さんが3人いるけれど、実質一人っ子と同じだと私は思っている。今、娘は年中さん。あと1年間、幼稚園があり、その後6年間も小学校に通わなければならない。それから中学・・・高校・・・と、考えただけでも気が遠くなってくる。自分の身体が持つのかどうか心配になってきた。昨年まではあまり感じなかったのだけれど、ここ最近、なんだか体調がすぐれない。。50歳過ぎると、身体にいろんな変調がくると聞いていたけれど、これがそうなのかな・・・最近、NPO法人の活動で、終活に関わる話をする機会が多々あった。延命治療、死について、後見人制度などなど。。常に、いつどうなるかわからないとう危機感を持ちながら生きることはとても大切だと思う。けれど、幼稚園の娘を育てながら、自身の延命治療についてや認知症になったときのこと、終活について考える機会があることを幸せだと思うべきなのか、それとも不幸だと思うべきなのか。。もちろん終活は娘の為にもしっかり行っておかなきゃならないことだと思うけれど、(たいした金額ではないけれど、彼女が受け取れるお金をしっかりと受け取れるように、そして彼女が私の死後どうしたらいいのかわからないことがないように)、自分自身の為にも自身の最期について、示しておきたいと考えている。そんなことを考えるから、「もしかしたらあんまり長生きできないのかも・・・」そして最近体調がいまいちだから、「もしかしたら病気かも・・・」とまたまたネガティブな考えが頭を支配しそうになる。娘がいなければ、自分が死んだあとに、何か気になることなんて、何一つないだろう。天国に行けば、お花に囲まれて、好きなものに囲まれて幸せに暮らせるんだから、逆に早く天国に行ってもいいくらいだ。けれど、私にとって一番怖いことは、老後の年金生活とかそんなことよりも、娘を一人残していかなければならなくなること。娘にはまだまだ伝えたいこと、一緒にやりたいことがたくさんある。まだまだ娘の成長も見ていたい。それができなくなることが一番怖いことかもしれない。叔母が雪道で転び、頭を強打して、一か月にもなるけれどいまだ入院中だったり、同級生が何人も病気で亡くなった話を聞いたり、延命治療、終活、認知症と、若いママには、ほとんど縁のないような話が私の周りにはたくさんあり、またそれが他人事の話ではなく、いつ自身に降りかかってきてもおかしくないような年齢だから、よりリアルに感じてしまうのかもしれない。娘の結婚するときには「寂しくて、泣くんだろうな・・・」よりも、「自分が生きているか?」が心配になる。。これも高齢出産のリスクの一つだろうか。とにかく娘との時間を大事にしよう!そう思っていても、娘よりも仕事が優先になったり、イライラして怒ったりと、思いはあるのに実行できていない自分がいる。こんなんだから、人に対して偉そうなことは言えないけれど、もし結婚したいと思っているのなら、本気で恋愛して結婚する勇気を持とう!そのためには、うまくいかない婚活なんてやめちゃって、本気で恋愛することが大事だと思う。相手は誰でも良いわけではない、けれど恋愛する相手で自分の未来が変わるわけではなくて、未来を変えるのは自分自身。だから誰と恋愛したって、誰と結婚したって、幸せになれるかどうかは自分次第で決まると思う。限界まで頑張ってダメならダメでしょうがない。100%うまくいくと保証された恋愛や結婚なんてどこにもない。一歩踏み出すのはとても怖い。ましてや責任を自分で負わなければならない場合はなおさら。。。だけどやらずに後悔するよりも、やって失敗して後悔するほうがどれでけいいか。この間、同級生と同級生の奥さんと飲む機会があった。同級生に「結婚した時よりも、今が一番幸せだろう?たぶん、お前の人生の中で、今が一番幸せなはずだ!」と言われた。言われてから気が付いた。そんなことしばらく考えていなかった。自分が幸せかどうかなんて・・・40歳すぎて恋愛がうまくいかず、泣きながらワインをラッパ飲みしていた人生最悪の頃に、50歳を過ぎてから幼稚園の娘と一緒に水着を着て海やプールに行ったり、スキーしたりボードをしたりする日々なんて想像していなかった。確かに、私の命は、炎天下のビーチや雪山で削られている。けれど、こうやって元気に、娘と一緒に、二度と来ない時間を過ごせていることを幸せだと思う。きっと、ワインをラッパ飲みしながら、居心地の良いぬるま湯から抜け出さずに、まぁいっか。。と諦めていたら、私の人生は、間違いなく後悔だらけの人生だっただろう・・・

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  • 13Feb
    • 45歳で初産妊婦生活⑤

      前回のブログで書いた「点滴の管を抜いて、窓から抜け出して、家に帰ろう!」衝動が収まり、頑張る事が出来たのは、たまたまついていたテレビ番組のお陰だった。全盲のご夫婦が赤ちゃんを産んで2人で育てているドキュメンタリー番組…それを見ていて涙が出てきた。たかが、何ヶ月かベッドの上で動けない生活をしているぐらい、赤ちゃんがダメになった訳でも、病気で入院している訳でもない私はまだ幸せなんだと思った。身体にハンデを抱えながら、一生懸命、2人で子育てをしている姿を見て、逃げ出そうとしている自分が、情けなく、頑張っている2人に対して、申し訳ないと思った。それから、こんな入院ぐらいで凹んでられない!と思えるようになった。寝たい時に寝れて、本読んだり、テレビを見る時間も好きなだけあった。上げ膳据え膳の入院生活は、戻りたくても戻れない幸せな時間だったんだなぁ。。。と、今思う。

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  • 10Feb
    • 45歳で初産妊婦生活④

      久しぶりの更新で、今更だけど、なぜBlogを始めたのか自問自答し再確認した。高齢出産する自分がとっても不安だった。。そんな時、インターネットで「高齢出産」検索をして、欲しかったのは、「高齢出産で、元気に無事な赤ちゃんを産みました!」「切迫早産で長期入院していたけれど無事に産まれました!」という高齢出産した方の情報だったことを思い出した。もしかしたら、今、切迫早産で入院中の45歳の初産のママがこのBlogを見ているかもしれない。そんな女性に元気を与えられるようにBlogを書くんだった。で、入院中のことをまた書こうと思う。前のBlogでも書いたけれど、とにかく暇だった。そして、ベッドの上から動けるのは診察の時だけ。ベッドの下に落とした携帯を拾うのにも看護師さんにお願いしないといけない・・・そんな状況が転院先の病院で約3か月続いた。1日が過ぎるのはとても早かった。けれど、1週間過ぎるのがほんと~に遅かった。妊娠6か月くらいの時だったかな?夜、寝ていたら、お腹が一定の間隔で、張るような感じがあった。今まで入院していても、お腹が張るという事がなく、どんな感覚なのかもわからなかった。けれど、そのすぐ収まるだろうと思っていた「張るような感じと鈍痛?」は朝まで続き、時間が経つにつれ、だんだんと強くなっているような感じがした。呼べばすぐに看護師さんが来てくれるんだから、呼べばよかったのに、そのうち収まると勝手に判断して、そのまま朝まで我慢していた。朝になって「これはダメだ。自然には収まらない。。」と思い看護師さんを呼んだ。毎朝やっているモニターの検査をしたら、やっぱりお腹が張っていた。そして検査をしてくれている看護師さんが「ストレスに強い赤ちゃんですね。お腹が張っていても、赤ちゃんは元気です。」と言ってくれていた。その言葉を聞いて、お腹の赤ちゃんに申し訳ないことをしていたんだと初めて気が付いた。私は自分で勝手に「もうすぐ収まる。」「我慢できるぐらいだから。」と判断して、看護師さんも呼ばずにいたけれど、お腹の中の赤ちゃんもずっとその間ストレスを受けていたんだという事を知った。次から、「何かあったらすぐ看護師さんを呼ぼう!」と心に決めた。その日を境いに、ずっとウテメリンという点滴だけだったけれど、さらに強い薬、確か「マグセント」という点滴も加わった。副作用の強い薬らしく、動悸がすごくて、我慢強い私にもさすがに我慢ができず、看護師さんに「苦しい」と言って、点滴で落とす量を少し減らしてもらった。しばらくマグセントとウテメリンという2本薬がぶら下がった生活が続いた。そのマグセントが入っていたころだったかな?「管を抜いて、窓から抜け出して、家に帰ろう!」と本気で思ったのは・・・

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  • 10Jan
    • なぜ45歳で妊娠できたのか…?

      それにしても、今日はひどい雪だ。。考えてみれば、娘が産まれてから初の親子3人旅で、誰も知り合いのいない海外旅行に行き、今日の朝、成田に着いて、今は新潟行きの高速バスの中…一度目の結婚の時に最後に行ったバリ島…約20年振りのバリだった。最後の最後、バリの空港で、娘が1人で走って、キッズエリアに。。私もパパも着いて行けず、娘は1人、海外の空港の小さなキッズスペースで遊びに夢中になっていた。娘がそこにいたのは、わかっていたので、近くのショップでビールを買うかどうするか二人で悩んでいたら、いきなりパパが、「あっ!また。。。」と…パパの視線の先には、搭乗ゲートと逆方向に今来た道を全速力で走る娘がいた。。マズイ‼️と、とっさに思い、私も全速力で娘の後を走って追いかけた。。名前を呼んでも聴こえていないようで、何か叫びながら走っている…「パパー、ママー、○○は、ここにいるよー」と自分がここにいるんだよ、と大声で叫びながら走っていた。なかなか、娘に追いつけない…娘の名前を呼んでいるけれど、娘には聞こえていない。周りの人達は、何事かと、娘を振り返ってみていた。やっと、私の声が聞こえたらしい。娘が振り返った。私の方を見て泣き出した。バリに行く前の東京駅でも、1人でおもちゃ屋さんに入り、私とはぐれている…そんな娘は、今、5歳。以前のブログにも書いたけれど、45歳の私が自然に妊娠して、切迫早産で4か月入院し、自然分娩で、元気な娘を産むことができたのは、キセキだと思う。なぜ、そのキセキが起こったのか??私にも何故だかわからない…お酒もカップラーメンもコンビニも大好きで、食に気をつけた事もない。。強いて言うなら、偏食はない。ほとんど何でも食べる。サプリも飲んでない。運動もしていない。下の血圧が高めで、冷え性。。妊娠できたキセキが何故起こったのかわからないのと、もう一つわからないことが…出産してから思ったのだか、「何故、パパと結婚したのか?」もわからない…何故なんだろう?ほんとうにわからない…何かに導かれるように、引っ張られるようにパパと付き合い結婚をした。そして、今は何故結婚したのか?自分でも不思議に思う…でも、パパと結婚しなかったら、きっと娘に会うことはなかっただろう。と思う。不思議だな…と思ってしまう。。娘がまだ2か月くらいの頃に、私とパパに面と向かって「産まれて来た子が可哀想だ」と言った人が1人いる。子供が大きくなった時に、両親が歳をとっているからだとか…私やパパの事をよく知らないくせに、よくそんなことが言えるよな。。と思った。幼稚園のママの中でも、もちろん一番年上、ふつうにひと回り以上も違う年齢のママ達だっている。ただでさえ50歳過ぎて、物忘れするし、老眼だし、疲れとれないけど、ここで私が疲れきっていたら、私の後に続く高齢ママ達に申し訳ない。だから仕事も娘の事も、自分の夢もあきらめずに頑張るつもりだ。娘を可哀想な子にはしたくない!妊娠も結婚と同じで、1人でどんなに頑張ってもうまくいかない事かもしれない。妊娠も結婚もキセキだとするならば、前を見て、未来を信じていくしかない。もし、仮にうまくいかなかったとしても、その先の未来は必ず明るいはずだ!

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  • 28Dec
    • 45歳初産の妊婦生活③

      高齢出産のキーワード検索で、懲りた後、今度は早産のキーワード検索が始まった。周産期母子医療センターのある病院に転院してからは、私のお腹にいる赤ちゃんの週数でで産まれた赤ちゃんが助かる確率や、産まれてきた場合のリスクをほぼ毎日インターネット検索をしていた。転院してから、すぐに早産で産まれた赤ちゃんの肺の機能の成熟を促す「副腎皮質ステロイドホルモン」も注射した。インターネットでも、22週で産まれた赤ちゃんが元気に育ってる記事などを目にしたけれど、一番勇気づけられたのは、私の友人の知り合いの娘さんの一枚の写真だった。私の友人が自分の知り合いに「早産しそうで入院してる同級生がいる」と話をしたら、たまたまその知り合いの人も22週で早産をしていたそうで、私の友人はその事を、その時初めて知ったらしい。そしてその早産で産まれてきた女の子は、とてもそんな早産で産まれてきた子とは思えないほど他の同い年の子達となにも変わらないし、とても元気な女の子らしかった。その元気な女の子の写真だった。やっぱり身近に、本当に体験している人の話に一番勇気をもらえた。心配していた22週もどうにか無事にすぎ、それから毎週、週数でインターネット検索、そしてカレンダーに一日過ぎる事にバツを書くのが、入院中の日課となった。産まれたら助からない週数をクリアして、産まれても助かるかもしれない週となっていた。助かるかもしれないけれど、障害を持つ確率もあることも知った。だけどベッドの上の私には、「とにかくまだ産まれて来ないで!」と赤ちゃんと神様にお願いするしかなかった…それにしても、動き回ることもできず、ベッドの上で安静に、トイレも個室の部屋の中。。。どこか痛いわけでもなく、前の病院からずっと続く点滴だけ。(まさかこの点滴がこれからあと約3カ月も続くとは思っていなかった…)とにかく暇だった。。暇すぎて、母が持ってきてくれたものにたまに付いていたりする実家で飼っているトラちゃんという猫の毛を探すのが楽しみになっていた。ひどい時は、ベッドに並べて数えたりしていた。トラちゃんの抜け毛に助けられた…

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  • 22Dec
    • 45歳高齢出産のリスク その2

      昨日、10年ぶりいや、それ以上かな?昔一緒に遊んだ同級生の娘たちと、同級生と、私の5才の娘と食事をした。同級生の娘の一人が結婚する事になったので、そのお祝いで!メグchan、おめでとー友達みたいな親子関係を見て、ほんといいなぁ〜って思った!私も、娘と友達みたいに一緒にお酒飲みたいけど、あと15年は無理だ。66歳か。。。あともうちょいで、70歳になる…やっぱり、最近シニアの身体を変えると話題のヒップホップを始めようかな…高齢出産のリスクというと、流産、障害、歳とってからの子育て、とたくさんの事が言われているけれど、そんな事は高齢じゃなくても誰にでも起こるかもしれない。私が思う高齢出産のリスクは、友人達に子育ての事を聞いても、「あまりにも昔の事で忘れた」「そんなの昔はなかった」とリアルタイムの話が友人達とできないこと。だが、しかし、そんな友人達は、今の私と同じ事を20代でしてきたんだなぁー。と思うと、ほんとうに頭が下がる私が20代の頃に、子育てできただろうか?たぶん無理だっただろうな…と思う。だから神様は、私が45歳になってから赤ちゃんを授けてくれたのかもしれない。人生は、良いことばかりじゃないけれど、悪いことばかりでもない。娘と一緒にお酒飲める日まで、ボケずに、元気で、頑張ろう!このままいくと、その頃は年金生活?金もないな…どうにかしなきゃ。。どうにかしよう。。頑張ろう‼️

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  • 20Dec
    • 高齢出産のリスクとは?

      前回のブログでは22周になったので、母子周産期医療センターのある病院に転院になった話を書いたのだけれど、そういえば、入院する前の妊婦生活でも、いろいろと考えた事があったなぁ・・・と思い出した。45歳の2日ほど前に妊娠していることが発覚した時、嬉しいよりも「どうしよう・・・」という思いが先だった。「無事に健康な赤ちゃんが産まれてきてくれるのか?」がまず一番に頭の中を過った。2度目の結婚をしてから、インターネットで「高齢出産」について調べに調べまくっていたから、どんなにリスクが高いのかを知っていた。妊娠が発覚してからも、自分を勇気づけてくれる記事を探して、キーワード「高齢出産」 で来る日も来る日もネット検索をしていた。調べても調べても、流産する確立も、ダウン症の子が産まれてくる確立も高いという記事しか出てこない。私と同じくらいの年齢で出産をしている方もいたけれど、それは初産ではなく2人目とか3人目・・・あとは芸能人の方々の出産データ。。私のようなお金がある訳でもなんでもない普通のサラリーマンの一般人が高齢出産して「元気な赤ちゃんを産みましたー!」という記事は見つけられなかった。ある日も同じようにみんなが寝てから、一人「高齢出産」について調べていたら、高齢出産で無事に健康な赤ちゃんを産んだ人の人数を、棒グラフで表していたページを見つけた。45歳の年齢の所には、1人か2人くらいしかいないグラフだった。それを見てからかな・・・「私が欲しい情報はインターネットでいくら検索しても、出てこないんだ。」とやっと気が付いた。それからは落ち込むだけの高齢出産検索はやらない事にした。だからこのブログが、ちょっと前の私と同じように不安を抱えてインターネットで高齢出産の情報を検索をしている女性に、少しでも勇気を与える事ができたらいいな・・・と思っている。私は産むまで4か月間、ベッドの上での、逃げ出したくなるような生活だったけれど、元気な女の子を無事に出産する事ができた。毎晩、お酒も飲んでいたし、いつもとまったく変わらない生活の中で奇跡のように妊娠することができた。私の周りには、40歳を過ぎて結婚をして一生懸命妊活をした子や、私の経験を知り、40歳を過ぎてから不妊治療をした子もいる。けれど、みんな子供を諦めなければならなかった。私も彼女達と同じだったかもしれない・・・私も赤ちゃんを諦めなければならなかったら「あの時こうしておけば、、もしかしたら、、」と後悔しないように、できる限りの事をして、そして「ダメなんだ」と自分自身が確信をして、自分を納得させただろうな。。と思う。そして、その「できる限りの事」をしている間は、奇跡が起きる事を願いながら過ごすだろう。だからもし、高齢で赤ちゃんが欲しくて、でもできなくて切ない思いをしている人がいるのなら、後悔しないように、「ダメなんだ」と自分自身が確信するまでは、奇跡が起きる事を願って、頑張って!と言いたい。人生はどこで何が起こるかわからないから。。大丈夫。赤ちゃんが来てくれても来てくれなかったとしても幸せな人生を送る事ができるから・・・結婚したら、妊娠をして、健康な赤ちゃんが産まれてくることは当たり前の事なんかじゃない。若いママだろうが、私みたいに高齢のママだろうが、赤ちゃんを授かって、そしてその赤ちゃんが元気に産まれてきてくれるという事は、ほんとうに奇跡なんだと思う。奇跡というのは、インターネット上にある数値のデータだけでは、計れない。知り合いで不妊治療を何年も続けていて、何度も流産を経験して、42歳でやっと元気な赤ちゃんを産んだ子がいる。私は自分が妊娠してから、その彼女に、「出生前診断」について聞いた。彼女は受けなかったと言った。「障害があってもなくても産もうと思ったから・・・」と。。彼女の話を聞いてから、私も主人と考えた。出生前診断は受けない事に決めた。きっと障害があるとわかったとしても、お腹の中の赤ちゃんを産むのか産まないのかを決められないと思ったからだ。そして、入院する前に妊婦健診で病院の待合室に行くたびに、「おぎゃー献金」の募金箱とポスターを目にしていた。もし赤ちゃんが元気に産まれてきてくれたら、お財布に入っているお金を全部この募金箱に入れようと毎回思っていた。そんなずっと妊娠してからモヤモヤと心配事を抱えていた私がそのモヤモヤを吹っ切る事ができたのは、20も年齢が違うけど、すでに2人の子を持つママとランチをしていた時に、「ちゃんと無事に健康で産まれてきてくれるか心配なんだよね。」と彼女に話したら「そんな事、気にしてたら子供なんて産めねーし!」とスパッと言われたからだ。その言葉で八ッと気が付いた。歳とってようが、若かろうが、子供を産む時に考えてることはみんな同じなんだと。。自分の子供でもおかしくないくらい年下の子に「そんな事、気にしてたら子供なんて産めねーし!」と言われて、思わず彼女を「姐さん!」と呼びたくなってしまった。そして、返す言葉も見つからなかった。彼女のその一言がなかったら、もしかしたらずっと気が付かずにいたかもしれない。ありがとう。。。彼女は今、3人目を妊娠しているらしい。やっぱり「姐さん!」と呼ばなきゃいけない感じがする・・・インターネットで過剰に情報収集をして、来る日も来る日も高齢出産ネガティブ情報を見ていた私は、娘は元気に産まれてきてくれたけど、もしかしたら何年か後に、何か問題が出てくるかもしれないと、5歳になった今もまだ心配している。娘だけではなく、自分の身体も信用できなくなり、ちゃんとした母乳が出ているのかも心配になってきた。市販の粉ミルクの方が安心できた。そんな娘は生後3か月くらいから、母乳ではなく、完全粉ミルクで育った・・・自分の身体から出てくるものが信用できない。。。きっと私にとっては、これが高齢出産のリスクだったのかな???

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