「いかなる病障りをなすべきや」
日蓮聖人がある方への
励ましの手紙に書いた文章だそうです。
~生命力が発動すれば
どんな病もあなたの障りになることはない~
と、いう意味であると私はとらえています。
私の父は、小さな島で渡船業をしています。
父より7つも年上の母は82歳。
軽度の認知症を患う母を、
父が老老介護をしてくれている現状なのですが、
父は私が人生の中でほんとに会ったことがないほどの
「超楽観主義」で、何があってもそれを受け入れて
「なんとかなるわさ」と心から人生を楽しんでいるような人です。
父は母の病気に確かに最初は動揺したものの、
いつもの楽観主義を発動させました。
船の操縦席の隣に母を座らせて仕事に連れて行きます。
もう10年近くにもなります。
もちろん一人にはしておけないということもあるでしょうが
夫婦二人でいつも太平洋と瀬戸内海の大自然を観ながら
話をしながら仕事をしているようです。
それでも、不思議と島では人気として
可愛がっていただいている渡船屋の一つです。
大自然とコミュニケーションと、
父が尊厳をもって接してくれているからか
母の病気は進むことはありません。
確かに病名はついていますが、
商売の売り上げは母が病気になる前と変わらないそうです。
病であっても、障害にならない。障りをなさない。
病があるからこそ私は
父と母の魂が寄り添っていることに安心感を頂いています。
父の様子を見ていて、
障りをなさない病ははたして苦しみなのか?と感じたりします。
苦しみであるからこそ、
私たちは病を排除し忌むべきものとして
私たちは病を排除し忌むべきものとして
それがない世界を目指します。
しかし、私たちに平等に与えられている苦しみ。
苦しみの代表といわれる『生老病死』。
これを苦しみととらえることが、、、
もしかしたら「からだと心の平和」からかい離させる
実態なのかもしれません。
私たちは常に何にも脅かされない、
障りをなさない次元ときっとニアミスをしながら
いるように感じます。
恐怖というかい離へのパスポートを
使用しすぎているのかもしれませんね!