私は夫の手元から目を離さなかった。
3~5万という数字の下の行に一文を書き加えたからだった。
5.誰に対しても慰謝料の請求はしない。
という文だった。
慰謝料について書いていなかったことを逆手に取られたのだった。。
何度も書いているとおり、今のところは慰謝料など請求するつもりはなかった。
でも、その“今のところは”という私のずるい気持ちを読み取られたのかもしれなかった。
当時の夫に請求しても支払能力がないことくらいは十分承知していたし、まして彼女に対しての慰謝料請求など考えていなかった。
夫と彼女のことについては、私は夫が悪いと思っている。
どっちが先に誘ったかなどということはたいした問題ではない。
もし彼女が既婚者だと知っていて誘ったのだとしても夫が断ればすむだけのことなのだから。
ただ、夫が彼女に惹かれたのはなにか理由があってのことなのだろう。
もしかしたら私なんかよりも魅力のある人なのかもしれないし、私とのセックスレスが原因かもしれない。
その真実は夫にしかわからない。
私は不倫というのはいいことではないと思っている。
“一生この人だけ”と神に誓って結婚するのだし、夫婦は貞操を守る義務がある。
でも、人の気持ちに絶対ということはないし、気持ちを縛りつけることはできない。
人の気持ちは移ろうものだ。
それだけはどうしようもないものなのだろう。
でも私はそれならそれできちんと誠意のある対応をするべきではないかと思っていた。
どういう対応が誠意のある対応なのかと言われたら、それは一概には言えないと思うが、少なくとも私にとっての誠意ある対応とは嘘をつかないことだった。
離婚を切り出すにしても、変な言い訳などせずに
「好きな人ができたから、お前とはもうやっていけない」
と正直に言って欲しかった。
彼女とは別れられずに私ともうまくやりたいと思っているのなら
「今はどっちとも別れられない」
と正直に言って欲しかったのだ。
そう言ってくれていたら私は夫が自分で結論を出すまで待っただろうし、同じ離婚をするにしてももう少し違った感情を持っていただろうと思う。
それができないのならもっと上手に嘘をつきとおして欲しかった。
でも、夫はそのどちらもできずに中途半端に嘘をついた。
不倫をしたことよりも、そのことの方が私には許せないことだった。
夫の彼女に対しては不思議なほど憎しみも嫉妬も湧いてこなかった。
夫への気持ちが冷めていたこともあるだろう。
もしも今後、夫への慰謝料請求を行ったとしても、彼女に対しては請求するつもりなどなかったというのに、わざわざ
“誰に対しても”
などということを書き加える夫に今さらながら、再び嫌悪感を抱いた。
夫からすれば、彼女に対して慰謝料を請求されることが一番嫌だったのだろう。
彼女を守ろうとしているのだろうが、そんな方法はお門違いである。
私にとって大切なのは夫と彼女の今後ではない。
おもちと自分と両親の今後のことだけだったのだから。
それでも、離婚届と念書と協議書に署名捺印をもらったので、次は念書に署名捺印をもらうために夫の実家へと向かったのだった。