新しモノとの付き合い | 繭蟲のブログ

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日々の暮らし、一緒に暮らす猫・・・綴っています。

新しい携帯電話機は以前の電話機と比較すれば調子がよろしいが、相変わらず『XPERIA』はどうやらバッテリーに問題があるようだ。
以前のXPERIAもそうであったが、バッテリーが使っている頻度を考えても道理に合わずどんどん減る。
ナンピョンは眉間にシワを寄せ「だからiPhone にすればいいのだ」と口を尖らせる。
「iPhone 、iPhone となんだ!」と心の中(←ここがミソ)でムッとするのである。
確かにiPhone は、香港や韓国へ出張の時には、あちらで沢山の種類のカバーが売られており、「いいなあ」と指を加える事もある。
だが、大きさやデザイン(形)が好のみではないのだ。




新しいカバーが届いた。

ベースの色が白なので、秋冬にはちょっと合わない。

今、マトリョーシカのデザインのものと、以前使っていたデザイナーの猫のマトリョーシカのもの。
それと、リスのデザインのものを制作依頼している。
どれも可愛いく、デザイナーの手作りなので時間が掛かる。
それでも「この電話機にして良かった」と思っている。
到着を楽しみにしているのである。





九龍は体格が大人猫と寸分変わなくなってきた。
仔猫の期間は短いが、ワタシは今の九龍の方が好きだ。
見た目よりもやはり、性格が馴染んできた方が重要である。

若い時分は、己れ好みの見てくれ重視であったように思う。
だが、その見てくれに反し、大抵がボンクラである場合が多々あった(当者比)。
大人になるにつれ、それが分かってきた時には、そのような輩には近づかず、遠目で「ご苦労さん」と思っていた。

また、自分には関係ないが、友や知り合いの彼などで、所謂「男前」と呼ばれる部類(?)の方であると何故か顔を作る人が大半であり「どんな人にも己れをよく見せたいのだな」としらけた。
後にやはり「ボンクラ系」とわかり、これまた口には出さねど「そうだろう、そうだろうよ」と別れ話しを聞くにつれ、そう感じていたのである。






「彼って優しいの」と聞くとドキドキする。
何故なら、そのような人は『天然』を装い、また「優しさ」を匂わせ、相手に誤解を招かせる事があるからだ。
彼女にだけそうしているのであれば問題ない。
ただ、そのような輩は下心見え見えで、問題が勃発する度「僕は何もしていない」などと天然の演技をするのだ。

中高年になり、ババア道に拍車が掛かっている今のワタシには、その手は通用しない。

男前でも上から目線の「ふふーん」というようなばかりの青年だけだはない事も承知している。
うちの近所の「どらっぐぱぱす」の青年は、とても感じがいい。
けして男前の部類ではないが、声も大きく、年寄りの婆さんやワタシにも分け隔てなく、商品の案内などきっちりとやっておられる。
ワタシはその青年に「お兄さんはハキハキしていて感じがいいね」と言った。
男前というだけで、「漂白剤は何処でしよう?」と聞いて、明後日の方向に指を指すような店員よりも、前者の青年を絶賛支持したいとババアのワタシは思っているのである。






このところの毎朝の九龍の定位置。


さあ、今日は聖路加へMRIを撮りに行く。
午後からレーザーだ。

病院ずくめで疲れるが、明日から連休である。
「ぼちぼちやろうや」と自分へ言って聞かせているのである。