早起きしなくても良かったので、夜中までだらだらしてました
たまには楽しいですね
学校で、今日は何してたの?と聞かれたのですが、何してたんだろ~と改めて。。。
散歩にお掃除に読書にゲーム
他の子は学校行って、リサーチのまとめした、とか働いてるからバタバタで。。。など
こんなにゆっくり過ごせて有難く、それでも娘の送り迎えが嫌で引っ越さなきゃと思ってるのって我儘?
でもあいりんのお友達のお家は皆学校の傍にあって、そこのママたちは本当にぶらぶらしてます(多分)
私の怒りっぽい所が嫌な旦那さんは、お願いだからだらだらぶらぶらしてゆったりになってと 忙しくなったらイライラ更にしちゃうから禁止令を
私が一人で居たころ、頑張るのが好きで、目標を持って生きる事が生きている証、実感だと思ってました
何かで社会に還元する事、自分の持っている能力を使って経済活動に参加する事、そして常に伸びて行く事が使命の様な感覚
100%そう信じていました 何かをしたい、もっともっと。。と
でも今、環境が変わって、その価値観を彼に壊されて、こんなだらだら非生産性の人間を求めている人っているの?
と不思議ですこんなでもいいの?
頑張ってなくても生きてていいの?と思います
頑張ってる時って追われる焦りがないのでハードな中に楽な所も 今は楽しいけどこんなで良いのかなと思う焦りはあります自分で自分を勝手に責めると言うか。
都内の外資系IT企業で働いていた頃、本当に激務で、まだ若くて未来も明るかった私は成功欲に燃えていましたが、ふと青山界隈で
優雅にお茶をしているあまり変わらない世代の若マダムたちを見て、彼女たちと私との違いに悩んだりもしました
彼女たちはたっぷり愛情とお金を注がれた雰囲気を醸し出し、手入れの行き届いた肌や髪、特別な美女でなくても、手に入れられそうな
身近な聖域 きらきらオーラが出てました
かたや私は睡眠時間を削りお化粧直しの時間も無く、男性もののアタッシュケースを持ち書類にPC詰め込んでヒールで歩き足の裏もぼろぼろ
体中筋肉痛、腰痛、肩コリ、会社とお得意先のデスク以外の世界を久しぶりに見て、かなりショックを受けました
私は何故こんなに頑張らないといけないの?彼女たちと何が違うの?
さすがにもう答えは出ていますが、自己実現の為に得る物って重いですね
生産性にこだわって、生き急いでいた私ですが、女性には女性なりの、生産性を持てる場所があるのねと最近じわじわ感じてます
正解の人生はないし、幸せの尺度もない、メタファーが違うから比較は不可能
源氏物語を読んでいると、1000年も昔から女性は女性として、男性に振り回される生き方、頼りなさに悩んでいて、驚かされます
現代女性は経済自立を勝ち取って、男性から自由になり、生き方を自分で選べますが、それも出会いえ変わるのかなあ
生産性にがむしゃらになっていた私は、やっぱり余裕がなく、追い込まれていたのかもと思います
今、普通に毎日が楽しいので(というか嫌だな~と真剣に思う事がない)優しい旦那さまと可愛い?娘に感謝です