少し前になりますが、先月の終わりに、ギリギリ駆け込みで東京国立博物館の顔真卿展に行ってきました。


書道の先生に勧められなかったら、行列に並んでまで実現しなかったかもしれませんが、行ってよかった。



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茶道のために始めた書道のお稽古ですが、そこでは「美しい文字を書く練習」以上の刺激をいただく時間になっています。


限られたお稽古の時間だけでは、筆の扱い、手本をよく見ること、真似て書くこと、身体でリズムを覚えること・・・はどれも身に着けることが難しいので、検定の課題も自宅で練習するようにしていて、先生が添削をしてくださいます。その検定でお手本になっているのが、顔真卿です。

 

1200年も前の中国の政治家の残した文字が、人工知能や宇宙ロケットの時代の人たちの文字のお手本となっていること。


人の人生や生活はこうして連綿と繋がっているのだと、実感します。


「桃子先生がいつも教えてくださっています。こんにちは、顔真卿先生」と挨拶をしているような気持ちになりました。

 



展覧会会場には、中国人や韓国人が家族やグループで大勢観に来ていました。


台湾の故宮博物館からの展示物が、中国や韓国の人たちも東京で観られるように、旧正月の時期に合わせた開催だったようです。


日本は、中国や朝鮮から、政治、法律、文化、技術など多くを学んできました。


その中で大きな役割を持っていたのは「文字」ではないでしょうか。


文字があり、またその文字が統一されたことによって、時間や距離を経て、情報や記録を伝達したり共有したりすることができるようになった。


電話、ファックス、インターネットなど以上の、革新的な一歩だったのではないかと想像しました。

 


中国や朝鮮とは長い歴史の中で密接な関係にあったからこそ、過去には戦争もあり政治的には難しい面もあるのかもしれませんが、同じ漢字の文化を持って続いている国の仲間なんだと連体感のようなものを感じました。

 

顔真卿先生の文字はもちろん、王羲之などのそれ以前それ以後の有名な人たちの文字が、石版に掘ったものを写した拓本などで展示されています。


さて、では本当に顔真卿先生の文字は美しいのか。


 

左右のバランス、少し丸みを帯びた形、入筆やはらいの形はお稽古で習う通りです。


顔真卿以来、美しい文字の手本として見習ってきた日本人にとっては、その文字を見て「ああ、お手本通りの美しさだ」と思うのは当然でもあって、そうした教育がなかった時に、さて、どのような文字を見て美しいと感じるのか。


展覧会では、顔真卿の役人として活躍や苦悩なども紹介されいて、文字には人柄が現れているようにも感じました。

 

文字も絵画も音楽も、表現されるものには、その人の人柄や生きざまが現れる。


私は、人柄の温度を感じるものが大好きです。


けれど、その生き様が美しいから作品が「美」と評価されるものではない。


「美」は圧倒的な「美」でなければならない。


そんな話を茶道のお稽古で生徒さんと話していて、つらつらと考えてみました。

 

圧倒的な「美」

絶対的な「美」

とはなんだろう。



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例えば絵画は、王や貴族が自分の姿を美しく残すことで権力や永遠性を表そうとしたり


写実的であることが絶対だった時代から印象派の表現に「美しさ」が生まれたり


形から離れてデフォルメすることで、形には見えない本質的なものを表現するようになったり


写真の技術が誕生すると、絵画はそのまま写し取ること以外の意味を持つようになったり


「美」の概念は時代によっても、国によっても変化してきました。



 

顔真卿展では、空海や嵯峨天皇の文字も展示されていましたが、中国の文字とは空気が違いました。


ある人はそれを、中国と日本の河の流れの違いだと教えてくれました。


急な山々に囲まれて、滝や急流の多い自然と共に生きる日本人と、高大な大地と海のように広くゆったり流れる大河と共に生きる中国人とでは、感性も身体的なリズムも違って当然かもしれません。

 


「美」とは身体の内的なリズムや色や情感の「熱量」のことなのかもしれません。


今では多くの芸術にもその道の先人や師がいて、選考会があり、評価され、受賞することで、私達凡人はそれが一つの「美」であると認識する、とういうような感覚になっていて、専門家に好評価のものに人気が出ます。


昔は、国をあげて宮殿や城、祈祷のための神聖な建築をする時に、その時代の「美」の達人を集めてきます。


「美」は神のようなものでもあり、力でもあったのではないか。


そのためにも、お金を持った貴族や政治家たちは、自分だけの美を表現してくれる芸術家を自分の眼で見つけ、応援し、育ててきていたのではないか。

 


今では、歴史的な重要文化財が安易に壊されたり、流出したりしないよう、大学、財団法人、美術館や学芸員資格を持った人たちが評価したり管理したりしていて、学校教育では美術や音楽の授業で「美であるとされているもの」を学んだりしていますが、学校を出て大人になったら、どの人の絵が好きか、どんな書が書きたいか、どんな音楽家のパトロンになりたいか、その時代にそれを表現したことの勇気や挑戦に賛同したいか、というような、自分の中の「美」を感じることに本当の豊かさがあるような気がします。


そのためには、自分が美しいと思うものにお金を出す。


いまある値段は手間賃や材料代が影響していることもありますが、「そう見られたい」という値段でもあります。


全く注目されていない無名のまま「美」を生み出そうとしている人もいるでしょう。



 

それが世の中にあることを応援したい、と思うものにお金を出す。


その行為の連続が世界を創っていく気がします。


武器にお金を出すのか、森を守ることにお金を出すのか。


手編み籠にお金を出すのか、電子レンジにお金を出すのか。


どんな小さなものにも、自分が美しいと思うかどうかを問う。


必ずしも「自分のものにする」「所有する」ことに限らないと思います。


会社の会議室に絵を飾る。


休みの日に音楽を聴きにコンサートへ行く。


筆を持って書や絵を描いてみる。


普段読まない文学を読んでみる。


自分の中にある「美」を感じる心に光を当てるというのは、実は生きる上でとても大切な行為なのではないかと思ったりもします。



 

練習の時間がなかなか取れず、上達しない書道のお稽古が好きな理由もそこにあります。


茶の湯の世界が好きな理由もそこにあります。



自分の外の世界はいつの時代も理不尽な事があり、悲しみや苦難を完全に取り除くことはできませんが、自分の中にある「美」に、神様のようなもの、生きる力のようなもの、永遠性のようなものがあると感じるのです。



さあ、こんな風に思いを寄せている余裕はないのです。靖國神社での茶会が、いよいよ週末に迫ってきました。



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【表千家茶道教室】

月曜日 11時〜21時
火曜日 18時〜21時
土曜日 10時30分〜14時


【ビジネス茶道】
日本橋コレド室町3 橋楽亭

2019年3月25日(月) 18時30分〜20時30分

【靖國神社 茶会】

2019年3月17日(日) 10時00分〜15時00分


【アーユルヴェーダ料理教室】

2019年3月19日(火)10時30分〜16時00分
「天然酵母パンを焼こう」

2019年3月27日(水)10時30分〜16時00分
「春のアーユルヴェーダ料理」


【植物時間〜植物を味わう時間〜】

2019年4月9日(火)14時00分〜16時00分
「春小花で春まつり」

お釈迦様のお誕生日をお祝いします
アレンジメントで味わう→言葉で味わう→ハーブレメディで味わう→お抹茶とお菓子で味わう

2019年5月16日(木)
「大人の遠足」
ふじみ野駅集合→自然を感じながら散歩→そらいろカフェでランチ→ハーブのブーケ作り→お抹茶



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