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昨年末の大晦日、伊達巻を、末っ子の娘が作ると申し出た。
最初は失敗した。
いろいろ検証して、改善して作り直していた。
小さいけれど、美味しい伊達巻だった。

お手伝いをする良い子の娘を自慢したいわけではなく、娘も手伝うつもりではなかったと思う。

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私は、結婚で実家を出た時、愛読していたコミックを処分したが、どうしてもまた手元に置いておきたくなって最近買ってしまった漫画がある。



 

主人公の麻子と幼馴染の男の子きしんちゃん。

音楽学校に通う高校生になって再会し、共にピアニストだった母親の因縁が明らかになる。

二人がそれぞれに才能を開花させながら、成長していく作品だ。


 


いくつか好きなシーンがある。



 

厳しい松苗先生がコンクール前に他校へ引き抜かれることになり、最後のレッスンのワンシーン。



「わたしがきみを手助けできるのはここまでだ。


わたしがきみらに教えることは

絵画の世界でたとえれば

単にパネルに紙をはる技法でしかない。

そこからは先はひとりで

きみが自分で絵具の選び

色をつけていくんだ。

 

絵には作者自身があらわれる。

 

見聞をひろめなさい。

頭をやわらかくし

いろいろな考え方のできる人間になりなさい。

自分をみがけばみがくほど

美しい絵が描けるだろう。」

 

「楽しみにしていよう」

 

と言って、麻子が弾き続けるレッスンルームから去っていく。



 

もう一つ大好きなシーン。

これをもう一度読みたくて、買ったともいえる。


 

著名なピアニストである麻子の母は、弟子をとらず、娘の麻子にピアノを教えたこともない。

演奏活動で忙しい母は、麻子を祖母に預け、小さいころからなんでも自分でさせてきた。

その母が初めて公開レッスンをするというので、麻子が「ずるい」と言って覗く。




「ここは、キャペツの千切りを思い出して。軽快に楽しく話してごらんなさい。」


と生徒に教える麻子の母。


レッスンの後に生徒の母親が

「さとみちゃんには千切りどころか、包丁をもたすことすらさせませんわ。指に怪我をしたら大変ですもの。」

「先生のお子さんにはそんなことさせられますか?」

と言う。

 

麻子の母は


「それはこまりますね。

体で覚えた感覚というのは

ことばではいくつあっても

伝えられないことがあります。


ですけど

音にならじゅうぶんすぎるほど

素直に伝わりますわ。


皆とわかりあうためには

皆と同じ生活が必要です。


ピアノの音にだけでなく

まわりの音にも耳をすましてみることが

どんなに楽しいか。

すこしでも音楽を愛する者なら

まわりの音を音楽にかえることなんて

たやすいことですわ。」

 

「麻子はシチューが得意です」

 

私は、この自慢げに答えるお母さんの顔が大好きなのだ。

 


麻子は、小さい頃から自分で不器用に髪を三つ編みして、針仕事もして、いつもそうして、母親につきはなされてきたのは、自分の手に生活させるためだったと気づく。




冒頭の伊達巻の娘。

私は、お弁当にも洗濯にもすべてに文句ばかり言う反抗期中学生とのバトルに疲労困憊して、ある時、宣言した。


「お弁当は頼まれなければ作らない」


「ダンス部の衣装も自分でやりなさい。

そして、いつか上級生になった時に、下級生に指導して、親に丸投げでなく自分たちで衣装も作る部にしなさい。」


大人気ないのは承知の上。


そんな母親が大嫌いな娘は、頭を下げて頼むなんてまっぴら、と思ったのだろう。


自分でクックパッドをみて献立を調べて、スーパーに買い物に行き、夜のうちに下ごしらえをして、朝おきてお弁当箱につめて出る。


娘の親子丼は美味しい。


それでも、まだまだ未熟なので、寝坊して遅刻することもあるし、お弁当がみっともないこともあったはず。


ダンスの衣装も、切ってはいけいないところを切ってしまい、テープや安全ピンでとめたりしていて、他のお友達に比べたらボロボロな衣装だった。


「本当に、衣装作りは、今回も大変だったわねー。もう、いつまで続くのかしら。」

「うちは、外注しましたよ。」


発表会でお会いするお母様たちとのおしゃべりでは、「皆さん、お子さんに優しく献身しているんだなぁ」と自分に罪悪感や後ろめたさを感じながらも、実は娘のことが誇らしかった。


「うちは、自分で作ります。」


たぶん、麻子のお母さんと同じ顔をしていたと思う。

 



娘は、私の知らないところで

変なお弁当を笑われたり

作ってくれない非道な母親を馬鹿にされたり

ボロボロな衣装が恥ずかしかったり

かわいそうと同情されたかもしれない。

 

または、そういう目線や空気を痛く感じていたかもしれない。


子育てが下手くそな母親を選んでしまったことを後悔しているだろう。

 

でも「母親に、どうだ!と言ってやりたい。甘えたくない。」と歯を食いしばっていたに違いない。

 


 

私事ではあるけれど、いま、三人の子どもたちはそれぞれに自分で絵具を選び、色をつけようとしている。

親に与えられたものを捨てて、いろいろな考え方に触れ、異なる環境に生きる人たちを理解しようと、想像力を鍛えている。

 

それは、失敗の連続で遠回りでもある。


私は松苗先生のように、楽しみにしていようと思う。





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