11月20日 マヤ暦「祖先・6」

 

量子力学の相対性理論では、光速になると時間が止まるといいます。

マヤ世界観の理論では、毎日時間を担ぐ守護者が交代しますので、守護者が時を担ぐのを止めない限り時間はとまりませんが、守護者の荷物が重かったりすると時間はゆっくりでしょうし、今日の荷の中味がミッション5つ!くらいだけだったり、守護者のご機嫌が良かったりしたら時間は早く進むかもしれません時計

 

マヤ暦占い、古代マヤ占術体系の学びを教えるとき、まず私は「マヤの世界観」についてお話します。

具体化された意味内容やロジックは「〇〇である」という意味でしかありません。

 

 

 

たとえば「祖先」というアハウのサインがどういうサインで、どんな特徴があって、どのような役割があるのかについて話をした場合、それは「アハウ・祖先」が言葉で象られた概念となり、相手の人に伝わっていきます。

 

ところが「アハウ・祖先」が潜在的にもっている「言葉で象ることのできない未規定性」「アハウの周辺にいつも紐づいている森の神秘性」「神々の役割」などは語られていません。

そしてそのオントロジカルな「世界観」が伝わらないままでは、「マヤ暦」の本来もつ「術」は解放される方向にだけしか開かれません。

解放されていくことは大事なので、それだけでもいいと思われるかもしれませんが、実際はそうではありません。そこは単なる「通過点」にしか過ぎないのです。

 

 

私はいま大学院ゼミで「主体の放棄」「森の再帰性」などについて学んでいます。

言葉を学ぶだけでは足りなくて、その本質や類似したメタファーの構造などを読みとりながらマヤ暦の世界観に照らし合わせてみて、初めて「私が学ぶことの意味」がでてきます。

 

つまり私にとって「マヤ暦占術家としての自分」が日常で、「大学で学ぶ自分」は非日常です。

そこから再び日常の自分へと戻ってくるわけですが、学ぶ前の自分と同じであったら大学へ行っている意味がないわけです。学ぶ以前の自分の視座や価値観、見方が変わって初めて「学ぶことが神聖な行為」としての通過儀礼的な意味をもつからです。

 

 

 

という視点から先ほどの「世界観」の話に戻りますが、「マヤ暦を学ぶ、マヤ占いで自分を知る」が始まりですよね。

そこからスタートして世界観を知り、その周辺にある未規定性や神秘性などについて学び、解放されていくことで天の力との引き寄せも始まるでしょう。

 

しかしそこは目的地ではありません。

 

 

そこは通過点です。

 

 

そこから日常の自分に戻ってくるけど、そこは以前の自分とは違う気づきや視座がとれるようになっていること。

そこへ到達することのために「古代マヤ世界」を学ぶわけです。

 

 

 

 

 

多くの人はそのような大切な秘儀や奥義を知りません。

 

 

今日は大学の日ですニコニコ音譜

 

Have a nice day!