ある日、通販のカタログを見ていたら、社会学者の岸政彦さんのエッセイが載っていました。

内容は、岸さんは犬や猫を非常に愛していて、それゆえにつらい目にあっている犬や猫を見るのがとても苦痛というもの。

岸さんは幼い頃から人と接するのが苦手で、犬や猫が話し相手だったそうです。

なので、犬や猫は岸さんにとって大切な仲間。

そんな大切な存在である犬や猫がペットショップで売られていたり、鎖でつながれて飼われていたりするのを見ると、彼らの苦しみがダイレクトに伝わって来てつらくなってしまうのだそうです。






たんに動物好きな人はたくさんいますが、動物の苦しみを実感として感じる人はなかなかいないのではないでしょうか。

また、岸さんの家では、奥さんが職場の近くで拾った二匹の猫を飼っているそうですが、その猫たちが暮らしやすいように、わざわざ家を新築したのだとか。

一番驚いたのは、岸さんがその二匹の猫を、「二匹」と呼ばずに「二人」と呼ぶこと。

(二人のうちの一人は一昨年亡くなったそうです)



(岸さん宅の二人の猫)


実は私のパートナーも、うちの二匹の猫を、「二人」と呼ぶのです。

パートナーも、殺処分される犬猫のことを考えたりすると、非常に苦しくなるそうで、

動物を殺すのはかわいそうという思いからベジタリアンになったそうです。

私も動物は好きですが、彼ほど深い思いはなかったので、最初は違和感を感じました。でも、今ではすっかり感化され、私もゆるいベジタリアンです(笑)。


さて、岸さんは別のエッセイでも猫について書いています。


「自分の人生の時間というものは、人にとってもっとも大切な、かけがえのない、価値のあるものだ。

限られたその時間の4分の1をたまたま出会った猫に差し出すのである。

そして、不思議なことは、それで後悔する人がほとんどいない、ということだ。

たまたま出会った猫を私たちは終生可愛がるのである。

猫は人生である」



「私たちは自分の人生にうんざりし、絶望し、おしまいにしたくなる時がしばしばある。

それに比べて猫というものは、あるいはもちろん犬というものも、たまたま出会っただけだとしても、

完全な幸せを私たちに約束してくれるのである」


岸さんの言うように、動物との関係に比べると人間関係は複雑です。

好きになったり嫌いになったり。

喜びもありますが、苦しみや悲しみもたくさん味わいます。

一生を共にすると誓っても別れることも。


「犬や猫の要求はいつもシンプルだから、言葉を使わなくても私たちは互いにわかり合うことができる」

人間同士は顔で笑っていても心の中は分からないし、

いくら言葉を重ねても心は通じず、むなしいこともあります。

でも犬や猫は、ただその姿を見ているだけであたたかい気持ちになり嬉しくなります。






ところで、猫を「二人」と呼ぶパートナーは、私より猫を溺愛しているようで、

「私も猫になりたい」と思うこともしばしばです(笑)。