8月1週目の週末は久留米市周辺の神社巡りをしました。
くしはらてんまんぐう
住所:福岡県久留米市東櫛原町1324
これより参拝させていただきます
✱狛犬✱
✱神門✱
神門に掲げられていた扁額。
『稜威』は読み方が二つあり
一つは「いつ」。
神聖であること。斎(い)み清められていること。
勢いの激しいこと。威力が強いこと。
もう一つは「りょうい」。
天子・天皇の威光。御厳 (みいつ)。
※威光とは人をおそれさせ、従わせる力や勢い。威勢
こちらの扁額はどちらの意味かはわかりませんが
どちらともありです。
✱石丸遺跡の大石✱
当宮の周辺には、今寺遺跡と石丸遺跡があります。
今寺遺跡では、弥生時代前期から終末期に及ぶ集落や甕棺墓(かめかんぼ)、
鎌倉時代のお墓や室町時代の溝、石に一文字づつお経を書いて納めた
江戸時代の穴などが見つかっています。
石丸遺跡は、今寺遺跡に住んでいた弥生時代の人々の墓地と見られる遺跡で、
多数の甕棺墓が調査され、銅矛や管玉なども出土しています。
この大石は、甕棺墓の上に置かれていた石と伝えられていますが、
古代における祭祀跡である磐座とも考えられます。
✱手水舎✱
✱寝牛の石像✱
説明書きに「うしさんをなでてみよう」とありました。
自分の身体の悪いところをなでるといいらしいです。
私は頭と顔と右腕と○○を撫でました笑
✱拝殿✱
神紋は「梅鉢紋」
◆御祭神
菅原道真神
相殿
吉祥女(菅公夫人)
老松神(御愛松の神霊)
◆御由緒
当神社は、後鳥羽天皇の御代、文治5年9月(西暦1189年)御分霊を仰ぎ、
当地区の鎮守の神さまとしておまつりされました。
天文年間(西暦1532年から1554年)のいくさによる災害で、
それまでの444年間の古い記録が残念なことになくなってしまい、
正確なことがわかりません。
鎌倉幕府をひらいた源頼朝がご創建したとも伝えられていたようです。
南北朝期観応3年(1352)2 月に書写されたとされる「安楽寺領注進目録」には、
櫛原庄の記載があり、安楽寺すなわち現在の太宰府天満宮の領地が
あったことがわかります。
✱本殿✱
✱廣瀧社✱
✱山王社✱
✱伽藍社・英彦山神社✱
✱恵比須神社✱
こちらの恵比須様には心惹かれるものがありました
恵比須様についてはさいちゃんさんのブログをどうぞ
✱御朱印✱
この日は宮司さんがご不在でした。
いらっしゃれば頂けるようです。