筑後国一の宮 高良大社へ行ってきました。

 

こうらたいしゃ

住所:福岡県久留米市御井町1

高良山(312㍍)の中腹に鎮座されています。

 

正面のお山が高良山です

 

一の鳥居「石造大鳥居」

車に乗ったまま鳥居をくぐりました。

通り抜ける時、車の中で一礼。

二の鳥居

参道と参拝車道が分岐する所に建てられた鳥居です。

苔が美しい♥

途中、ツツジが満開でした。

 

高良山麓から三の鳥居まで急カーブの連続(20カーブくらい)です。

こちらの近くに車を停めました。

三の鳥居

131段の階段を昇ります。

 

高良大社は、平成27年度秋より『平成の大修理』として四十年ぶりに

国の重要文化財である御社殿(本殿・幣殿・拝殿)の御屋根葺替、

中門・透塀の塗り替え、併せて斎館・授与所の改築が行われています。

 

御本殿・幣殿・拝殿保存修理工事、及び斎館・授与所新築工事は、

平成29年7月31日頃に終了予定です。

なお、御祈願・結婚式・祭典は、平成29年10月4日の

「遷座祭」まで仮殿にて執り行います。

手水舎

 

放し飼いの鶏さん

 

現在修理中ですが、社殿は国の重要文化財に指定されており、

神社建築としては九州最大級の大きさであります。

全国にある6つの国幣大社の内の一社でもあります。

横から見ても、大きさがうかがえます。


現在修理中だということは知っていました。

通常なら本殿などの奥に納められているはずの「神様の依代」とされる鏡を
修理中の今だからこそ、近くで拝むことができます。

ご祭神

向かって右 八幡大神(はちまんおおかみ)
中央   高良玉垂命(こうらたまたれのみこと)=武内宿禰(たけのうちのすくね)
向かって左 住吉大神(すみよしおおかみ)

 

ご神徳

厄除け、延命長寿、福徳円満、交通安全、生活全般

 

ご由緒

高良大社の神紋は「木瓜(もっこう)」


四方に開いた雲の中から、高良の神が出現なさるその瞬間を表しています。
高良の大神は、悠久の昔から筑後川の流域に生活してきた人々が、

その生活守護の大神様として奉持して参りました筑後国一ノ宮であります。
御社殿創建は履中天皇元年(西暦400年)と伝えています。

また、朝廷の御尊崇も篤く国幣大社に列せられ、古くは式内明神大社として

勅使によって御神幸も始められました。

江戸末期までは、神仏習合の思考のもと天台の僧徒多数奉仕し、

山内に二十六ヶ寺三百六十坊もあったということです。

参拝後、なぜか勝手に顔が綻ろぶのがわかりました。

傍から見たら、ニマニマしていたと思います。

身体全体の細胞が笑っているような、喜んでいるような感覚で

独りでに笑い出すのをグッと堪えていました。

宮司さんにも不必要に笑顔を振りまいていたと思います笑

ご神木の大樟

当社縁起書「高良記」によれば、クスの木は神木として、

御社殿等の用材としても一切使用しないという秘伝があると

述べているように「神木」として育ててきました。
年代ははっきりしませんが、樹齢約四百年位であります。
(高良大社 久留米市教育委員会)
 

一本かと思っていたけど裏に回ると・・・

2本でした。3本に見えますけど、2本でした。

 

八葉石碑残欠

高良山には古くから「八葉石」と呼ばれる列石がありま
した。これが江戸時代の終わり頃からは、「神籠石」と呼
ばれるようになります。
明治時代になると、高良山神籠石として学界に紹介さ
れます。この時は、高良大社の範囲を示すものとして、
「神域」であると考えられました。
その後、同様の遺跡は、北部九州を中心に 16カ所ほ
どが発見されています。研究が進み、現在では「朝鮮式
山城」の一種と考えられています。

祈祷殿

 

お願い成就 幸福のからす
高良大社の伝統に因んだからすです。
「なでると念願が通じて成就するでしょう。」

社殿銅板包鬼板

宝物館前に展示してあります。

説明書き見当たらず

安産、子孫繁栄にご利益がありそう。

展望所からの久留米市街景色

霞がかかっていました。写真中央を横切るのが筑後川です。

御朱印

 

4月・5月の祭典・行事
4月29日 昭和祭
4月30日 山川招魂社春季大祭
4月29日~5月5日 高良山つつじ祭り 
4月30日 山川招魂社春季大祭
5月1日 月次祭
5月3日 奥宮初寅祭
5月4日 愛宕神社月次祭
5月5日 端午祭(子供の日の祭)
5月6日 大学稲荷神社月次祭

 

今度は「平成の大修理」が終わって落ち着いた頃うかがおうと思います。

 

この後は奥の院へ向かいました。

 

つづく