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「任務十八年」。
「さて任務が終わったので帰ることとなった。
借りていた衣を脱いでもといた場所に帰る。
この衣をすっかり脱いでしまったら私たちはニンゲン界とは無関係になる。
本来私は時間という概念を持たないから今より先のことを考えたりはしないのだけれど私たちの派遣先であるニンゲンは今より先のこと今より昔のことをくり返しくり返し考える生き物だ」。
「今起きていないことや存在していないものを思い描いてはこわがったり不安になったりしている
ネコネコネコネコネコネコネコネコネコネコネコネコネコネコネコネコネコネコネコネコネコネコ
ずっと前にやったことや起きたことを思い出しては後悔したり落ちこんだりする。
先のことも前のことも考えなければいいのにそれはどうしてもできないみたいだ。
だからきっと私の任務先であったニンゲンさくらさんも私がやってきた当初から私がいなくなることを思い描いていた。
私の帰還後はきっと愚かにも後悔したり泣いたりするのに違いない」。
「私たちはそれぞれ任務を受けて衣を借りて担当のニンゲンのところに向かう。
ひとりでいくこともあればきょうだいや親子でいくこともある。
目が合って念を送ると狙い通りニンゲンは私たちをいともたやすく家に招き入れる。
そうして私たちはそれぞれ定められた任務期間そのニンゲンと暮らし定められた諜報・謀略活動を行う。
諜報は報告書を提出すること。
謀略はともかく自分の力ではなんにもしないこと。
なんでもニンゲンにやってもらうこと。
諜報とか謀略とか言葉は悪いが私たちが基本的に行っているのは平和的活動だ。
その証拠に私たちを迎え入れたニンゲンは九割がた平和的行動をするようになる。
善良なニンゲンになるわけではないがちいさな生き物にたいしてだけは平和的な心になる。
私たちが額から発する睡眠誘発剤を無自覚に吸ってすやすや眠りこむだけでニンゲンの心は平和になるのだ」。
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「任務は三年のこともある
私の場合は十八年だった。
十八年いろいろあった…と言いたいところだけれど私には今より前のことを考えることができないから覚えていない」。
「私を迎えたときのさくらさんはおばさんだったけれどこの任務期間におばあさんになった。
すっかり平和的なおばあさんだ。
帰ったら私はこの功績をたたえられて表彰されるだろう。
それではさくらさんさようなら。
さようならありがとう。
衣を脱いで帰っていくあいだ背を丸めて私の脱いだ衣を抱きかかえてわおんわおんと吠えるように泣きながら私の名前を呼ぶさくらさんの声が聞こえていた」。
「案の定私は十八年の功績を評価されて表彰されご褒美に休暇をもらうこととなった。
私は少し考えたのだけれど休暇を返上し任務の結果を視察したいと願い出た。
平和的なおばあさんになったさくらさんは私がいなくなって凶悪なおばあさんになっていないか視察したい。
本来ならば任務を離れたばかりのニンゲンの元へ戻ることは許可されない。
けれどもたぶん私の功績が認められその視察目的も納得のいくものだったのだろう許可が下りた。
一日だけ」。
「灰色の汚れた外用の衣を借りて私はふたたび住み慣れた町へと降りていき赤い屋根のちいさなおうちの前にたどり着く。
見つかったらいけない。
あくまで視察なのだ。
しばらくするとドアが開いておばあさんが出てきた。
さくらさん。
買いものにいくのだ。
前より背中を丸めてしょんぼりとして足取りも重い。
なんだか凶悪になっている気がする。
収集前のゴミを蹴ったりちいさな生き物に石を投げつけたりするのではないか。
そうしたら私の十八年もの任務がパーだ」。
「見つからないようにこっそりあとをつける」。
「公園を通りすぎたところでさくらさんが足を止める。
じっと何かを見る。
知っている。
電信柱の下にずっと前から付着しているペンキが私か私の仲間に見えるのだ。
まったく同じ場所なのにさくらさんは何度でも見間違いをして足を止める。
そして間違いに気づいてなんだペンキかと笑って立ち去るのだ」。
「でもこのときは立ち去らずその電信柱に近づいていく。
私でも私の仲間でもないただのペンキの汚れだとわかっているのに近づいてしゃがむ。
蹴るのか唾を吐くのか。
注視しているとさくらさんはそっと手を伸ばしただのペンキあとをやさしく撫でる。
びくりとする」。
「その手の感触がじかに触られたかと思うくらいはっきりわかったから」。
「まるくて分厚くて乾いていてあたたかい手のひら。
背中を耳の後ろを額を顎を包むように行き来する手のひら。
私は今撫でられているかのようにさくらさんの手のひらの感じを思い出す」。
「驚いたことにそれを合図のようにして次々といろんなことがあふれ出してくる」。
「ちいさなちいさな私を包んだ両手。
頭をもたせかけて眠ったふわふわのおなか。
嫌いだったシャンプーの泡とやわらかいシャワーのお湯。
テーブルに乗り損ねて床に落ちてそれを見てはじけるように笑う声。
毎日用意されるごはんとおいしいねえと言う声。
あたたかい陽射しのなかでの居眠り混じり合う私たちの寝息。
今ただのペンキあとを撫でているさくらさんもおんなじことを思い出しているのが私にはわかる。
私を失ってあなたは凶悪になんかなっていない何も恨んでも怒ってもいない。
ただ自分を満たすものをくり返し確認している。
あくまで平和に。
ねえねえきっといつかまた別の衣をまとってあなたのところへ派遣されるから待っていてよと物陰から私は言いそうになる。
でも言わないのはおんなじことをさくらさんもまた思っていることがわかるから。
さくらさんもいつかまた私が自分のところに戻ってくると確信していることがわかるから」。
「あれ?私今より前のことも先のこともわからないはずなのに。
なのに思い出しているしいつかわからない先のことを考えている。
あそうか私はニンゲンを視察したかったのではなくて本当はこのことを知りたかったのだ」。
「時間の概念がない私にも『今』を作ってきた今までがあり『今』が作るこの先があるとそのことを確かめたかったのだ」。
「さくらさんはペンキあとを撫でていた手をふと止めてふり返る。
私は咄嗟にものかげに隠れる。
見つからなかったはずだけれどさくらさんは十八年ずっと私に向けていたのと同じ顔でにいっと笑うと立ち上がり青空の下歩いていく」。
2017/03/30(木) 22:00〜22:25
NHKEテレ1大阪
ネコメンタリー 猫も、杓子(しゃくし)も。「角田光代とトト」
猫猫猫猫猫猫猫猫猫猫猫猫猫
文書の中に猫という字は一言も書かれて無いのに
なぜか猫がわかるのがすごいですニコ
誰もが猫と一緒に暮らしていると、猫との別れを経験する事を上手く別のかたちに変えている

しみじみ心に感じる良い文章音譜
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