昨日ブログ書いて、公開して

ちょっと言葉が強すぎたかしら、とソワソワしつつ、その後ふと、感じたこと。


私は、


旦那さんとセックスなんかしたくない

旦那さんは排卵日だけ帰ってくればいい

ホントは子供欲しいか分からない、でも産まないといけない

妊活、不妊治療したくないけど親が、旦那が、、


という感じのブログや話を見聞きすると

(いや、見なきゃ良いのだけど、入っちゃう、のぞいちゃうことってあるじゃん、、、)



そんな思い、しなくていいのに

そんなに頑なじゃなくてもいいのにって


なんだか心がえぐられたような気持ちになるのです。



全ての人に、健やかで幸せであって欲しいと願うから

自分自身で現実を問題視して、大きくして、拗らせてるのを見ると


あぅあ、、ぐすん

と感じるのです。



でも待てよ、と。



もしかしたら、治療を受けてる方にとっては、
セックスなんかしたくない、っていう方にとっては

私のブログの方が辛いんじゃないかと。



そんなこと分かってるよ!

でも出来ないんだよ!


みたいなね。


別にそこに愛がなくても

妊娠はすると思うんだ。



タイミングや遺伝子の相性で。



ただ、私は、大好きで安心する人達と一緒に生きているのが好みだから

不安や、不平不満で
人生の大半を埋めるのは嫌だから

そういうことに命を燃やしている人とは、きっと交わらずに生きていくんだと思う。



たまにこうやって、何かの拍子で

その言葉が目に入ってくることはあるし、それに関して思いは述べるけど。




旦那さんのせいで、とか
親が望むから、とか
ホントはしたくないけど、とか
しなきゃいけない、とか



自分の人生を

誰かのせいにしたり

自分の言動を、誰が作ったのかも分からない常識に当てはめて制限したり

それらしい理由をつけて

「できない、やらない」「そんなことはあり得ない」と決めているのは

他ならぬ自分自身。



自分の人生が上手くいかないのを
誰かのせいにしてたら

ホントの望みは叶わない。



私はこの世にも、生まれてくる世代にもトレンドってあるような気がして


昔は結婚したらすぐ子供が出来た、って、

シニア世代の方は言うけど


そこは比べてもしょうがないんだよね。




妊娠も、人生の選択肢の一つでしかないからさ。



昔は、選択肢が少ないからこそ、やるしかない

っていうエネルギー。



今はなんでも良い。

産んでも産まなくても、結婚してもしなくても
働いても働かなくても

どっちでもいい。

なんでも、いい。

なんでも選べる。



だからこそ「自分はどうしたいか?」
「何を選びたいか」が大事で

(選ぶべきか、じゃなくてね)


そのどうしたいか?に沿って、現実が作られてくる。


ホントは子供欲しくないのに、色々しょうがないから

と思ってると

色々しょうがないことが起きるし

(というか自分で起こしてる)



旦那のせいだ、と決めつけていたら

旦那さんを責めたくなるようなことばっかりに目がいく。



それは誰のせいでもなく、自分自身で作り出していること。



そこに目を向けたら

妊娠も結婚生活も、不妊治療も


「ホントはどうしたいの?」しか出て来ない。



ダミーな問題で、人生忙しくしてるけど

問われてるのは、自分が本当に知りたいのは


「自分はホントは、どうしたい?」


ってことだけだもん。




妊娠したくない

子供なんか欲しくない


って言ってもいいんだよ




大変な思いも、痛い思いもしたくないって

認めていいんだよ



だって辛いの嫌じゃん、誰だって笑



それを、

女は産むべき!

母親たるもの痛みに耐えるべき!

耐えてこそ、良き母になれる。

そうならねばならぬ!

(そうならないのなら価値はない)


って、なんか知らないけどそんな風潮に飲まれて、ほんとのきもち無視してたらさ


本当にただ辛いだけだし

こんなにやってるのに!って八つ当たりしたくなるだけ。



その「風潮」だって、本当にそうかは、分からないよ。


結婚も出産もしてなくても素晴らしい人はいるし、誰もそれを責めないのに

なぜ自分は責められると思うの??



私の人生、なんでこんなに辛いんだ?と思うのなら

自分の思い込みから、自由になる時。



誰も責めない。

責めてるのは、責められてると感じてるのは、自分だけ。







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