「蝉しぐれ」は、金曜時代劇でのドラマ版、映画版、舞台版と3種類見ましたが、中でもNHKのドラマはかなりよく作られていたと思います。テレビは、役者さんの細かい表情までよく見えるので、細かい心情も表現しやすいのでしょう。映画版は、多分2度と見ません。舞台は、テレビよりは良くなかったけれど、映画よりはずっと良かったと思います。
ところで、作品の前半で、文四郎の父が切腹させられ、その遺体を引き取った文四郎が、真夏の酷暑の中を、大八車に父をのせて、家路をめざす場面があります。原作では、道場の同門の後輩が、途中から一緒に車を押してくれ、その後から、ふくがやって来て、3人で車を押すという設定になっています。しかし、ドラマ・映画・舞台のすべてが、この場面を、文四郎とふくの2人だけで車を押すという設定に変えているのは興味深いです。幼い2人が、はじめて積極的にかかわりあった場面として重要なエピソードで、第三者の登場は映像的には不要だと判断したのでしょう。藤沢周平は、そこを敢えて3人にしているのだと思います。ふくが、たった1人で文四郎を手伝うというのは現実的ではないし、2人きりという設定は時代物の心、というか時代物の空気感からはずれている感じがします。上手く書けないですが・・・。
もう1つ興味深かったのは、文四郎の結婚の時期です。映画でもドラマでも、欅御殿にふくを迎えに行った時点で、文四郎は独身という設定でした。原作では既に妻を迎えています。しかし今回の舞台で初めて、欅御殿の時点で、すでに文四郎は妻帯していました。再会したとき、文四郎が独身で「あなたが忘れられなくて独身を通しています」という雰囲気を漂わせたほうが、ストーリーは面白くなるのかもしれませんが、「蝉しぐれ」は決して、2人の恋物語ではないのですから、そのような原作の書きかえは不要だと思います。その点、今回の舞台では好感が持てました。原作中にもあるとおり、文四郎は、四六時中ふくを想い続けていたわけではないのです。映画も舞台もそうでしたが、「1人を長く愛し続けたことがありますか」というキャッチフレーズをつけるのは、あまり正しいとは言えないと思います。「蝉しぐれ」は、あくまで1人の少年藩士の成長物語だと思うからです。
ところで、作品の前半で、文四郎の父が切腹させられ、その遺体を引き取った文四郎が、真夏の酷暑の中を、大八車に父をのせて、家路をめざす場面があります。原作では、道場の同門の後輩が、途中から一緒に車を押してくれ、その後から、ふくがやって来て、3人で車を押すという設定になっています。しかし、ドラマ・映画・舞台のすべてが、この場面を、文四郎とふくの2人だけで車を押すという設定に変えているのは興味深いです。幼い2人が、はじめて積極的にかかわりあった場面として重要なエピソードで、第三者の登場は映像的には不要だと判断したのでしょう。藤沢周平は、そこを敢えて3人にしているのだと思います。ふくが、たった1人で文四郎を手伝うというのは現実的ではないし、2人きりという設定は時代物の心、というか時代物の空気感からはずれている感じがします。上手く書けないですが・・・。
もう1つ興味深かったのは、文四郎の結婚の時期です。映画でもドラマでも、欅御殿にふくを迎えに行った時点で、文四郎は独身という設定でした。原作では既に妻を迎えています。しかし今回の舞台で初めて、欅御殿の時点で、すでに文四郎は妻帯していました。再会したとき、文四郎が独身で「あなたが忘れられなくて独身を通しています」という雰囲気を漂わせたほうが、ストーリーは面白くなるのかもしれませんが、「蝉しぐれ」は決して、2人の恋物語ではないのですから、そのような原作の書きかえは不要だと思います。その点、今回の舞台では好感が持てました。原作中にもあるとおり、文四郎は、四六時中ふくを想い続けていたわけではないのです。映画も舞台もそうでしたが、「1人を長く愛し続けたことがありますか」というキャッチフレーズをつけるのは、あまり正しいとは言えないと思います。「蝉しぐれ」は、あくまで1人の少年藩士の成長物語だと思うからです。
