清正公 | blog.正雅堂

清正公

知っている人は知っているのかもしれない。
名古屋駅の周りを歩いていたら、面白い表記を見つけてしまったので、カメラを取り出してみた。歴史ファンの心を擽らせるネーミング。こんなユニークな自転車置き場、近所にあるならぜひ契約してみたい。

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その名も「清正公」

正しくは(せいしょうこう)とか(せいしょこ)と読むらしい。実は東京の白金界隈でもこんな地名がある。


この名前の由来が、かの名将・加藤清正を指すことは云うまでもない。豊臣恩顧の武将として有名であり、徳川幕府に於いてはその匂いが強すぎたために僅か2代で武鑑から消されてしまった大名である。


その加藤清正は永禄5年(1562)6月24日に尾張国愛智郡中村で生まれた。現在の名古屋市中村区である。妙行寺がその生誕地であり、この場所も近くであることが地名の由来かもしれない。(地図上では妙行寺から3kmほど離れている)


東京白金で呼ばれる理由は、最正山覚林寺が近いこと。ここは清正の位牌寺だ。


現代に於ける清正の評価は高い。土木や築城の名手でもあった清正は大阪・名古屋熊本の三大城を担い、これらは清正三名城と呼ばれている。

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下から見た富士見櫓(非公開・2006年撮影)


また江戸城たる皇居東御苑には清正が寄進した富士見櫓が聳え立つ。実際には明暦の大火で失われて再建されたものだが、同時に焼け落ちた天守閣は資金難から再建が叶わず、富士見櫓が幕末まで天守閣の代わりとされた。そして関東大震災や東京大空襲にも耐え抜き、今なお東御苑の主となっている。


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左下が肥後石。大坂城京橋門の枡形を飾る。

このほか皇居宮殿に清正が朝鮮の役で持ち帰り、将軍家に寄進したと伝えられるの水盤が残っている(非公開)。名古屋には巨石を運ばんとする清正像、大阪には33畳分とも言われる肥後石が今も城の入り口を飾る。肥後とは清正の受領名だ。