池に棲む化け物
ようやく夏らしい陽気になってきたので、一つ涼しい話を。
世に諸国百物語という、怪談集がある。
江戸時代中期の延宝5年(1677)に書かれた全5巻からなる編纂物で、作者は不明。
その第二巻に、森家に関する記述がある。
森の美作殿、屋敷の池に化けものすみし事
・・・噺はこのタイトルではじまる。
森美作守殿の屋敷の裏に、小さな池がある。
その池の中から、嬰児が這い出すことがあった。
また、かぶりものをした女が辺りを歩き回ることもあった。
美作殿が近習の者を集めて夜話をされたときのこと・・・・。
髪を垂らした女の二人連れが、座敷の周りをあちらへ、またこちらへと歩く影が、壁に映って確かに見えた。
美作殿は不思議に思い、侍どもに座敷内をくまなく探させたが、それらしい何者もいなかった。ただ影だけが、あちらへ、こちらへと歩くのが、人々みなの目に見えたのだった。
・・・・それから一年ほどして、
美作殿は死去なさったとのことだ。
なんともミステリアスな終わり方であるが、
さあて、この美作殿とは一体誰になるのか。
森家で美作守を称した人物は藩祖・森忠政、2代森長継、4代森長成、そして長成の父忠継。
赤穂藩主にも数名居るが、延宝年間の成立を考えると、これは森家がまだ津山を統治していた時代の話である。
また、「森美作守」という人物が実在している以上、編者も根拠のないフィクションを書いたとは思えない。
水戸黄門で、悪役の代官や家老が実在しない名前になっているのと同じである。実在者をフィクションにすれば、関係者から訴えられるのは避けられないと考えると、大筋では実際に語られた話と考えても不思議ではない。
では、改めて。
忠政、長継、長成、忠継・・・・だが延宝5年のときに存命しているのは長継と長成。
生きている人物を「死去なさった」にはできないだろう。
その上、長成はこの時まだ幼少で万右衛門と称している。よってこの2人はリストから外せる。
では忠政と忠継だ。
江戸時代初期から中期の絵図を見ると、江戸城龍之口と呼ばれた一角に、森家の江戸藩邸の上屋敷を見ることができる。現在で言うところの東京駅丸の内北口付近である。この噺の現場はおそらくここだと思われるのだが、池があったかどうかまでは把握できない。また、浜松町駅付近には芝御屋敷と呼ばれた中屋敷が、目黒駅付近に大崎屋敷と呼ばれた下屋敷もあった。
いずれにせよ、大名屋敷ゆえに庭園に池くらいあっても不思議ではない。
忠政の死も不審じみた点は残されているものの、決して無念の死ではなかった。
だが忠継は違う。未来の3代藩主と目され、諸藩の江戸留守居役の組合を創設するなど政治力にも腕を見せていた人物だった。だが領国に帰ったときに肺炎を起こし、あっけなく30代半ばの人生を閉じてしまったのである。
父である長継の意向によって、家督は息子の万右衛門(長成)が継いだが、無念な最期といえよう。
私はこの噺の「森美作守殿」が森忠継ではないだろうかと思っている。
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