一年回顧 | blog.正雅堂

一年回顧

今年も、これを書く時がやってきた。

昨年の今日もこれを書いている 。 同じタイトルのまま、無事にこの稿を書けることが何より有難い。


昨年の稿を読み返してみれば、日本の情勢は昨年から大きく変化している。

中国をはじめとする国際非難を浴びた靖国問題は、安倍政権の樹立と共に終息化へと歩み寄りをみせ、メディアを買収しようとした某IT企業は社長が逮捕され、会社は上場廃止の憂いを見た。一般市民の誰があのとき、数週間後に彼が逮捕されると考えただろう。 高値を踊っていた株券は翌週には紙屑同然となり、「日の出の勢い」と書いていた自分が嘘のようである。


反面、隣国ではミサイルの発射や核実験が強行され、国際社会からボイコットを受けるに到っている。これに神経を尖らせた我国の中枢部では、非核三原則さえも揺るがすような発言が飛び出し、つい先日には防衛庁の防衛省昇格法案が衆参両院で可決された。 庁が省に変わるだけではあるが、我国が国防に力を注ごうと動いているのは事実である。 冷戦が終結して15年。願わくば、軍拡が再燃されないことを祈りたい。


天災は今年も悲劇を見舞った。

北海道で起こった竜巻は、過去最大とも呼ばれる規模のもので、9人もの尊い命を奪った。

また、都心部においてもスコールのような局地的豪雨が相次ぎ、地球温暖化を身をもって感じさせるものがあった。


さて、こんな一年に、我はどうであったか。


今をして振り返っても、一昨年は最悪の年であった。

昨年はそれを盛り返すかのように好転し、今年はその運気を保つような年であったと思う。

言うなれば、良くも無く、さりとて悪くも無く、である。


今年について一つの単語で表すとすれば、「苦楽」。昨年は「出会い」だった。

仕事を言えば苦しい事が続いた。詳細はここに書くべきではないが、これをもって「苦」としてみる。

しかし、プライベートに於いては茶の湯に励み、オルガンを楽しんだ。また、新しい趣味に陶芸が加わったことも、プライベートが充実したことを表すだろう。これをもって「楽」とする。


茶の湯については月に2回、心の拠所であるかのように必ず予定を空けて通い続けた。

古(いにしえ)の先人がそうであったように、日々の喧騒から逃れて精神の集中を試みたように、我もそれに従った。

師匠からはこの秋に御家元に上階への推挙を賜り、日々の稽古に拍車が掛かった。

富士山の頂上で茶のお点前 を試みたのは、日本中探しても私だけだろう。


茶の湯を学ぶと、草木や道具などに興味を持つようになる。

そんな理由から、茶碗に関心を持ち、京都や宇治で茶碗を焼き、今新たに師匠を見つけた。
茶の稽古に役立つものであり、両立が可能な趣味として細く長く続けてゆきたい。


そして特筆すべきは、オルガン。

これについてはもはや思い残すことの無いほどの計画を成し遂げた。

学生の頃から片思いを寄せていた、NHKホールの大オルガンが念願叶ってこの夏に復活。

大修復がなされたこのオルガンを、30年前に杮落としで演奏したフランス人老奏者 に再び引き合わせることが出来た。 

私のリクエストに応えてくださり、涙したのを昨日のように覚えている。


レジオンドヌール勲章という、日本の文化勲章者に値するこの奏者に接すること自体大変な栄誉であるのに、NHKホールをはじめご本人や日本オルガニスト協会の全面的なバックアップを得てこの実現に到れたことは、生涯を通して我が誇りといえよう。


そして「苦」も。

11月には自宅に不審者が侵入 。これを取り押さえて警察に突き出すことは出来たが、全治2週間の怪我を負った。

仔細を述べるべきではないが、仕事面を振り返っても苦悩の多い一年であった。

だがその分、私生活に活を求めることが出来たことは幸いである。文字通り、苦があっての楽であろうか。


昨年同様に、色々な方々との出会いもあった。

今年も正月早々に渡仏 し、政財界を始め有爵者の方々との交流を持った。もはや旧友ともいえる、各地のオルガニストとも再会し、数々の名器に触れさせていただいた。長期滞在していた頃よりは交流度も減ってきてはいるが、限られた滞在期間に1人でも多くの人々と会い、交流を深めることは、新たな出会いに通じる。


こうして振り返れば、今年一年自分がこうして無事に生活していられたのも、色々な人の助けを得て来たことを感じさせてくれる。

2001年1月1日が入社日である私は、明日で業界7年目を迎える。

この仕事を始めてからというもの、大晦日と正月はNHKやテレビ東京の年末特番に従事してきた。


今年はそのどちらの仕事に属することも無く、こうして自宅にいる。

どんな大晦日になるのだろうか。いまだに実感が沸かないのが、今日の心境である。