文久事件~日本最期の仇討ち
箱根で目覚める。少々肌寒く、朝風呂に漬かり朝食を取る。
美術館めぐりをするという一同に別れを告げ、小田急ロマンスカーで単身新宿へ帰京。
午後からは大手町のパレスホテルにて史料調査会の会合。 奇しくもサロン協会の定例会場である。
このとき、高野の復讐と題した古書を頂戴する。
幕末の赤穂藩主森家において起きた家老暗殺事件とその後の仇討ちまでを記した書物で、日本最期の仇討ちと言われる文久事件のことである。
藩政改革を唱える急進派家臣の一派が、国家老の森主税を赤穂城の門前で暗殺してしまう。
森主税は藩主森家に繋がる縁戚ではあるが、藩主はこの急進派を支持していたらしい。 そのため、主税を襲った首謀者らを剃髪させ、高野山にある森家の菩提寺、釈迦文院にかくまう。 名目は森家の墓守である。だが、主税の一派はこれを許さず、ついには高野山まで押しかけてその仇をとった。
というのが、その概略だが、この報せを知ってか知らぬか、明治政府はこの直後に仇討ち禁止令を制定、仇討ちしたものは罪人として処罰されることと決まり、そのため事実上これが最期の仇討ちとなったのである。
暗殺された森主税の家は当主自身が若かったこともあり、跡継ぎが居らず断絶となった。
赤穂といえば、大石蔵之助で有名な忠臣蔵がやはり仇取りの話であるが、これと似た話が同じ赤穂の地で起きていたと考えるは奇妙な偶然である。