共産党の候補者擁立状況を見ると、完全に独自路線に回帰したわけではなさそうだ。独自路線を強めつつ、その路線で共産党が大きくなって影響力を発揮できるようになれば、まともな野党共闘が復活することへの希望はもっているということだろうか。

 

 しかし、共産党が大きくなることと、野党共闘が再生することは、少しは関係しているけれども、本質的には異なることである。それは歴史と現実が証明している。

 

 例えば、よく言われることだが、共産党が大きければ大きいほど野党共闘が近づいてくるなら、京都が共闘の先進県だったはずだ。しかし、今回の選挙を見ても、1つも共闘は実現していない。そもそも、いくつかの県で見られる「市民連合」的なものは存在するが、政党の判断に影響を与えるほどの存在にはなっていない。ていうか、「市民連合@京都」のXのポストは2016年5月に始まり、翌月が最後だった。

 

 なぜそうなるかというと、言葉は良くないが、共産党が大きすぎたからだろう。一党で京都市長を取りに行けると判断できるほど、共産党の大きさはすごかったのだ。だから、他の野党の協力を得ることなど考えないでもよかったし、その基盤は現在に至るも生まれていない。そうこうするうちに、だんだん小さな党へとなっていったという経過である。

 

 湯浅誠さんがデビューした頃、貧困問題を政治の焦点とするため、どんな党にも足を運んでいたので、なぜそこまでできるのかを伺ったことがある。答えは、自分たちは小さいから、多数になるためにはできるだけ多くの党、政治家の協力が必要だということだった。協力とはそういうものだろう。

 

 現在の共産党を見ても、すぐ党中央の対応に目を奪われがちだが、実際には県ごとに異なっている。例えば、高知も京都と同じように共産党の影響力はそれなりに強いが、自分だけで多数になるなどとは考えず、一貫して他党と協力して多数になる努力を積み重ねてきた。橋本大二郎を県知事選挙でも推してみたり、社会党を離党した元参議院議員を衆議院選挙で推薦したり、目に見えることをやってきたのだ。

 

 そうした意識的な努力が、今回の選挙にも結実している。2つの選挙区しかないが、自民党と全野党の対決構図ができており、野党の候補者は1区が立憲で2区は共産党だ。

 

 

 野党の指導者が気にくわないからといって、水面下での協力の模索もしないまま、協力の基盤を壊したのはお前たちだと批判したり、対立候補を大挙擁立したりするのでは、そういう信頼関係は築けない。要するに、他党と協力し合うことは、共産党が大きければできるのではなくて、共産党の側に協力のための明確な意思と独自の努力が不可欠だということだ。

 

 共産党が今後も生き残っていくには、中央の指導が間違っている場合も、このような現場の努力が生きるような党になるしかないだろう。党規約でも「地方的な性質の問題については、その地方の実情に応じて、都道府県機関と地区機関で自治的に処理する」(17条)となっているが、選挙は全国的な問題ではあるが、地方ごとの政治の自治的な努力が結実する場でもあって、中央いいなりというのでは地方党組織の役割は果たせない。

 

 実際、今回の選挙で小選挙区で候補者を立てなかったところは、中央のあれだけの号令があったことを考えると、それなりに多かったという印象だ。客観的に地方「自治」が求められているというところだろう。一方、中央の指導だけを頼りにしたところでは、たくさんの候補者を擁立したため、供託金の負担であえぐことになるのだから。そのツケを党中央が払ってくれるわけではない。(続)