公表されている文書では私の除名理由が4つにわたって述べられています。1回のブログ記事で1つずつ反論していきます。
「(1)松竹伸幸氏は、1月に出版した本のなかなどで、「党首公選制」を実施すべきと主張するとともに、党規約にもとづく党首選出方法や党運営について、『党内に存在する異論を可視化するようになっていない』、『国民の目から見ると、共産党は異論のない(あるいはそれを許さない)政党だとみなされる』などとのべています。『党首公選制』という主張は、『党内に派閥・分派はつくらない』という民主集中制の組織原則と相いれないものですが、松竹伸幸氏が、この主張と一体に、わが党規約が『異論を許さない』ものであるかのように、事実をゆがめて攻撃していることは重大です。」
これは、論理が成り立っていません。最後の結論部分で、私が「わが党規約が『異論を許さない』ものであるかのように、事実をゆがめて」いると述べていますが、これは事実と異なります。私は、今回出版した本のなかで、共産党が「異論を許さない」どころか「異論が許されている」事実、「意見の違いがあって議論されている事実」をたくさん指摘しているのです。共産党員にはみんな個性もあり、独自の意見もあり、活発に議論されていることを描いています。
私が所属する支部でも、私だけでなく誰もが自由に意見を述べます。この間の国政選挙についいての中央委員会の総括などは格好の批判の材料であり、志位さんがいつまで党首にとどまるのだという声も頻繁に出ています。
しかし、同時に私が指摘しているのは、こんなに異論が存在しているのに、それが外には出されないので、異論のない政党であるように「みなされてしまう」ことです。だからこそ、この「理由書」だって、前段では私の主張から、「国民の目から見ると、共産党は異論のない(あるいはそれを許さない)政党だとみなされる」という箇所を引用せざるを得ないのです。
私を処分した側は、私が共産党を「異論を許さない」政党だと批判している箇所を見つけたかったのでしょうが、何人、何十人もが目を皿のように読んでも出てこなかった(書いていないのだから当然です)。だから、こんな無理なこじつけをして、結論を導き出したのでしょう。
党内には異論が存在しているだけではありません。その異論を外に出して議論することだって、この間、かなり許容されてきました。例えば、私が関係する分野で言えば、2000年の党大会で決めた「自衛隊活用論」など、学者の党員をはじめ公開の雑誌などで徹底的に批判されましたが、何のおとがめもありませんでした。私もこの間、自由に政治的発言をしてきましたが、処分どころか注意さえされていません。SNS時代ですから、党中央の見解が固まるまでは自分の見解は明らかにしないなんて、とても通用することではないのです。
そうやって共産党は、自由で個性の豊かな姿を国民に見せ、国民に近い存在になろうとしていたのです。それなのにに、今回の処分は、そのような努力で築いたものを完全に逆行させてしまいました。(続)