前回書いたように、「党の内部問題は、党内で解決する」ということは、党規約の文面上も大きな変化がありました。だから、新しい規約の循環型の精神で運用されるべきものだというのが、私の基本的な考えです。

 

 しかも、現実の党規約の運用は、そのような方向に変化しつつあります。それを象徴したのが、昨年11月に問題になった小池晃書記局長のパワハラ問題でした。

 

 あの時、小池さんは、のちに警告処分を受けるほどの行為に及びました。だがもし、「党の内部問題は、党内で解決する」というだけの論理で党が運営されていたら、あの問題は放置されたままだったでしょう。だって、小池氏だけでなく、パワハラの被害者である田村智子氏も、その様子を動画で見ていた志位和夫氏も、問題になるような行為だとは思っていなかったからです。そもそも「解決」の必要な問題とみなされていなかった。

 

 けれども、その現場を、共産党の多くの地方議員が見ていた(地方議員と候補者が視聴できる会議でした)。地方議員にとってはすごいショックだったので、何とかしたいと思った。おそらく、「党の内部問題は、党内で」という解決方法をめざした人もいたでしょう。しかし、何日経っても小池氏の謝罪もなければ処分もない。そこで、動画を外に公開する人も出てきたので、党員もびっくりして外部に公開されたネット上でも意見を述べるようになり、国民の目にも触れることになって、党中央に抗議が殺到した。

 

 党中央もようやくパワハラだと認め、小池氏の警告処分を決めたのは、そういう流れでした。内部問題にとどまらなかったことによって、党の規約が守られたということなのです。

 

 さらに大事なことは、動画を外に出した地方議員に対して、「お前は内部問題なのに内部で解決しようとせず、外に持ち出した。規約違反だ」という議論にはならなかったことです。つまり、現行の規約上、そういう行為は規約違反とはみなされていないということなのです。

 

 私が『シン・日本共産党宣言』で共産党のあり方として提言しているのは、規約をまさにそういう循環型のものとして運用しようということです。こうやって党員同士が意見を出し、議論を交わして、国民から支持される党になっていく。こんな党のあり方が定着していけば、共産党は国民に近い存在となっていくと思いますが、いかがでしょうか?

 

 なお、藤田さんの論文では、古い61年規約確定以前の50年問題のことに言及されています。あの時、排除された宮本顕治氏と宮本百合子氏には、主流派から「分派」として激しい批判が浴びせかけられました。主には党内問題が、文学者団体による批判として展開されたのですが、それに対して宮本顕治氏が黙っていたわけではありません。「党内問題」であることの節度は保ちつつ、文学者として堂々と批判をしています。50年問題が克服されたのは、あんな時期の主流派のもとでの共産党であっても、宮本氏が党外のメディアで語る言論の自由は保障されていたからでしょう。(続)