昨夜、本日の「赤旗」に私を批判する論文が出ると教えてくれる人がいて、楽しみにしていました。執筆しているのは、私が若い頃から知っていて、尊敬する藤田健さんだというし、ぐっすりと眠って「赤旗」を読むことができました。

 

 まず、ありがとうございます、ですね。これだけ力を込めて主張しているのに、完璧に無視されたら、哀しいですものね。こうやって議論を興すために提起しているわけですから、とりあえず出足はまずまずというとところでしょうか。

 

 この論文で書かれていることに関して私がどう思うのかは、この連載で順次書いていくことにします。本日はその前提になることです。この論文のタイトルで明確なように、藤田さんは私の「一連の言動」を「規約と綱領からの逸脱」だと捉えているわけです。一方、私はそう考えていないから、「一連の言動」を行っているのです。

 

 つまり、藤田さんと私の綱領、規約の解釈が異なっているということになります。問題は、そうやって党員の間で違いが生まれた時、どうやって解決するのかということです。

 

 現在の規約は、そういう場合に上が正しいという立場をとっていません。念のために言えば、藤田さんは「赤旗編集局次長」の肩書きで書いていて、それだけでも「上にいる人」という印象をもつ人が多いでしょうが、じつはそれだけではなく、共産党内に64人しかいない「幹部会委員」でもあります。26万人いるヒラ党員の私とは比べものにならない「幹部」を自称されている方なのです。

 

 1961年に決められた旧規約というのは、そういう場合、上のほうがエラいのだという立場に立っていたわけですね。「下級は上級に従う」だとか、「決定は無条件に実行する」だとか、いまから見るとびっくりするような言葉が踊っていました。

 

 しかし、2000年に決まった新規約では、そういう文言はすべて削除されました。上級、下級という概念がなくなった。この規約を大会に提案した不破さんは、「赤旗」に登場して「循環型」の規約だと説明しています。

 

 パワハラが問題になった際、小池書記局長は「党内の上下関係はない」とおっしゃいました。そうなんです。だから、藤田さんと私の間には上下関係はなくて、その二人が規約の解釈で対立しているわけです。

 

 でも、このままでは、藤田さんは「赤旗」に長い論文を書いて私を批判しているのに、私は何も「赤旗」に書けない。これって、「循環型」の現行規約では許されないことだと思います。

 

 「お前は勝手に本を出したり、ネットテレビに出たりしているだろう」と言われるかもしれません。しかし、それは藤田さんもやろうと思えばできることですので、やればいい。国民の一人として、憲法が保障する言論表現の自由は等しく保障されているのです。それと同じように、党員としての権利は、私と藤田さんには平等に与えてほしい、そして「赤旗」に登場させてほしい。それがまず私が言いたいことです。

 

 せっかく22年前に「循環型」規約ができたのに、私も含めて、この精神を党運営に行き渡らせる努力が十分にされていなかったと思います。今回の問題は、規約を制定の趣旨にあわせて現代に生かす試みになるのではないかと、私はひそかに(こうやってオモテに出しているのに「ひそかに」とは言えないかもしれませんが)期待しています。(続)