(9条の会・新日本婦人の会・平和ネット3.5講演会の記録)

三、国民意識は世界の構造変化とともに変化した

 3、意識は現実が生み出す、現実は政治が生み出す

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 さて、9条をめぐる情勢が、あまり楽観的なものでないことはご理解いただけたでしょうか。日本は9条があるのにすでに戦争する国になっているし、ただ非武装の日本を実現しようという視点で9条を捉えて訴えていても、国民多数の理解は得られない時代になっているということです。9条の文面を守ることを目標に据えて頑張るなら、その目標を達成することは可能であっても、そこだけに目を奪われると、日本は9条のもとで戦争を繰り返す国になってしまうということです。

 

 これは別の角度から言うと、国民世論を変えるためには、半端ではない努力が必要だということです。もちろん、9条の会の方々はそこはわかっていて、だからそのために努力していると言われるでしょう。けれども、では、世論を変えるには何が必要なのでしょうか。

 

 米ソ冷戦時代には、米ソ戦争の惨禍から日本を守るには中立しかない、だから安保廃棄だという訴えが通用した。しかし現在、中国が尖閣を奪おうとしている現実が目の前にあって、安保があるからそうなるという論理は通用しません。自衛隊をなくしたら尖閣は守られるという論理も通用しません。

 

 国民は目の前のそういう現実を見て、日本の防衛とか9条をどうしたらいいかを判断しています。それなのに、我々がその現実を変える努力をしないまま、国民の意識だけを変えるなんてできないのです。国民の意識を変え、世論全体を変えようとしたら、現実を変えなければならないということです。

 

 9条の会の方々は、よく街頭に立って訴えをしていますが、北朝鮮がミサイル実験をしたり、中国の海警局の船が尖閣周辺の領海に入ってきたような日には、北朝鮮や中国を批判する訴えをしておられるでしょうか。9条の会というのが、アメリカや日本の軍事活動は批判するけれど、中国や北朝鮮のそれには無関心ということでは、国民の9条に対する理解を得ることも難しいでしょう。

 

 同時に大事なことは、日本周辺の現実を変えようと思えば、政治を変えなければならないわけですが、そこにかすかな可能性が生まれていることでしょう。まあ、かすかなという以上のことは言えないのですが、戦後70年余を通じて日本を戦争する国にしてきた自民党政治を変える可能性が生まれているということです。我々の関わり方次第なのですけれど。(続)