さて、私にとって今年の最大の課題である台湾有事の本の執筆、そろそろ取りかからなければならない。昨年末は私事でバタバタして、年末は別の共著の論文作成に時間をとられ、ずっと放置してしまった。

 

 その間に、台湾有事をめぐる議論はますます過熱している。一方で、台湾有事は日本有事という議論も勢いを増しているし、他方で、沖縄を戦場にするなの一点で共闘しようという動きもある。

 

 私自身は、もちろん後者に近いのだが、それだけでは幅広い共闘はできないと考えている。なぜなら、中国が台湾を武力で統一しようとしたとき、それ自体にどういう態度をとるかが明確にされていないからだ。台湾の人々の運命については関心がないということになったら、そこを心配している人々は、とにかく沖縄と日本が戦場にならなければいいのだと捉えられる共闘には二の足を踏むのではないのだろうか。

 

 そこで、中国に台湾の武力統一方針を放棄させるという命題が生まれるのだが、それを中国に対する内政干渉だと捉える人々がいる。「中国は一つ」というのはアメリカも日本も含め国際社会が合意していることなのだから、一つになるのための方策は外国から口出しできないという考えからである。

 

 「中国は一つ」というのは、おそらく今後とも外せない原則であり続け得ることになると思われる。しかし、一つになる方式については、そう簡単ではないのではないか。

 

 なぜかと言えば、中国本土と台湾と両方に関係する問題なのに、方式として焦点となっている「一国二制度」は、あくまで中国側の一方的な提起だからである。中国は、92年の両者の会談で台湾側も同意したと主張しているが、台湾側はそれを否定している。

 

 その辺りはいろいろ議論のあるところだろうが、私が強調したいのは、何よりも、武力統一方針を放棄することは中国のためになるということだ。

 

 だって、この間、中国が武力介入を放棄しないと宣言する度に、台湾の人々の反発が強まり、世論調査でも統一したくないという人が多数を占めてきたのである。武力統一の方針がある限り、台湾の人々の合意は得られないし、「一つの中国」にはならない。

 

 そこが、イギリスとの交渉で(香港の世論と関係なく)帰ってきた香港とは本質的に違うところである。「中国は一つ」という原則が統一という方式でまとまるとしたら、台湾の人々の合意が欠かせない。台湾の世論に少しでも振り向いてほしいと思ったら、中国は、台湾の人々が歓迎する方針を打ち出さなければならないのだ。

 

 そこをメンツにこだわって、統一の方式は中国共産党が決めるものだとなっている限り、いつまで経っても「統一」は成し遂げられないだろう。中国に対する国際社会からの批判も高まるばかりである。