池江璃花子さんが100メートルバタフライで優勝し、多くの人が感動をもらった。一緒に涙ぐんだ人も多いだろうな。

 

 東京オリンピックの開催に反対している人、疑問を持っている人であっても、一瞬、「池江がオリンピックで泳ぐ姿なら見たい」と思ったことだろう。政治的立場を超えて、そう思わせるものがあった。

 

 だから、これを報道したどの新聞も、「池江、東京五輪へ」と大きな見出しで報じたのだ。池江本人にオリンピックに出たいという強い気持ちがあったから、そしてそれを国民は応援したいと願っているから、当然、そういう報道になる。

 

 一方、見出しで東京五輪のことを書かなかった新聞もある。「赤旗」だ。一面では「池江、涙の復帰V」とあり、スポーツ面でも「池江 白血病乗りこえ代表へ」と、見出しを見ただけでは何の「代表」か分からない書き方になっている。

 

 これって、共産党が東京五輪の開催に反対しているから、見出しには持ってきにくかったのだろう。「五輪は中止」が前提なのに、五輪代表になったことを評価するようなことは言えないのである。それって、政党としてすごく損をすることになる。

 

 コロナ禍で五輪に対する国民の評価が割れている時に、政党がどんな態度をとるかは難しい。開催反対と言ってしまえば期待を持っている人を失望させるし、ただ開催だけを言っても「コロナを過小評価するのか」と思わせてしまう。

 

 だから、大阪の吉村知事なんかも、もちろん賛成の立場なのだろうが、一方で、聖火リレーに対してはきびしい態度をとり、両方の立場に配慮した物言いをするのである。主催者に近い政府与党の場合も、もし反対を決めざるを得ないときのことは十分に想定しながら、物事を進めているのだと思う。

 

 自衛隊にも安保条約という重大問題でも、一貫して反対している共産党が、政権に近づくためにその主張を留保しているのに、オリンピックのような問題で反対姿勢だけで突っ走るのが、どうも理解できない。池江さんに対して共産党は五輪反対だと面と向かって言うときのことを考えながら、物事の態度は決めるべきだと感じる。

 

 自衛隊も同じで、新婦人の子育て子組に自衛官の妻が参加しているような場合、そこでは自衛隊に対してすごく配慮したものの言い方をしている。そんな現場での苦労にも学んでほしいものである。

 

 なお、「赤旗」だが、さすがに本文では、「五輪代表入りを確実にしました」、「五輪代表入りを決めました」とあるから、ちゃんと読めば理解できる。まあ、本文でも書かなかったら、何の記事か分からなくなるから当然だろうけど。