●分断され、敵意と悪意にあふれた世界は住みにくい

 

 現在、世界でも日本でも、異論の排除と分断こそがトレンドだ。「異論の共存」を唱えるのは少数派である。

 

 アメリカではトランプ前大統領が、大統領選挙を有利に闘おうとする思惑で、黒人差別に反対する運動への「銃撃」までほのめかすことで対立を煽った。選挙が終わってからも、敗北を暴力でくつがえすため、露骨な扇動を行った。トランプ氏が再選されなかったのは希望をもたらしたが、分断が克服されるにはほど遠いのが現状である。

 

 日本においても、安倍前首相のかつての「こんな人たちに負けるわけにはいかない」発言に見られるように、国民を敵と味方に分ける思考がまかり通っている。国民だけではない。アメリカは味方で韓国や中国は敵だというのが、いまや世論の大勢のようになっている。さらに言えば、敵と味方を峻別する思考は、自民党政治に反対する側においても、あまり変わらない。そういうやり方のほうが、支持者を興奮させ、活動に力を与えていくのだろう。

 

 そういう世界では、「異論の共存」などという考え方は、中途半端で弱々しく映るに違いない。私のような立場は、どちらの側からも「敵」とみなされ、相手にされない可能性だってあるだろう。

 

 しかし、異なる考え方に対する敵意、悪意があふれかえる世界は、その考え方を信奉する人々には心地よくても、穏やかな暮らしを望む人にとっては住みにくい世の中である。誰かに悪罵をくわえて居酒屋で盛り上がる様など見たくもない。そんな世界に私は住みたくない。対立する立場であっても、真摯に対話することができれば、何らかの有益なものが生み出せるというのが、私のささやかな経験から来る確信である。

 

 なお、本書の最後には、私が産経新聞デジタル版のオピニオンサイト(iRONNA)に寄稿した二〇近い論考の中から三つを掲載している(タイトル等の一部は修正)。百田尚樹氏の『日本国紀』批判、現代的なコミュニズム待望論、北朝鮮の核・ミサイル問題への考察である(北朝鮮問題は産経新聞本紙に転載された要約版も掲載)。一応は左翼であることを隠していない私に寄稿の依頼が来るなど考えもしなかったが、「デジタル版は異論を掲載するリベラルな立場だ」と説得され、サイトの名称自体が「いろんな」として「異論」を前提としたものであるので、寄稿させてもらうことにした。産経新聞系列というだけで毛嫌いする人もいるが、百田氏への批判やコミュニズム待望論さえ載せるようになっているのである。実際、何か検閲されることもなく、自由に書かせてもらってきた。右派論壇がこうして異論とも共存しようとしている時に、左派論壇はどうすべきなのだろうか。異論の共存を右派に任せるのではなく、左派こそがそこに挑戦し、成果を出す必要があるというのが、私の率直な考えである。(了)