そう、鈴木さんの証言について、このゾーンの運営者は、「差別されなかった朝鮮人」「日本人にもかわいがられた」という内容をとらえ、韓国の言い分の間違いを証明するものと考えているようです。だから、これだけを大きく取り上げているのです。

 

 一方、韓国のメディアは、この同じ証言の部分をとらえ、「そんなはずはない」と反発しています。ユネスコの会議での約束違反だとして、遺産登録取消を求める声も強い。

 

 しかし、鈴木さんは、昨日引用した部分でも明白なように、父親が軍艦島での労働から逃れるため、ウソをついて島を出たことを証言しているのです。炭鉱の労務が何回か問題にしても、母も子もしらを切り通して、自分たちも島を出られたことを証言しているのです。

 

 これって、そういう言葉は使っていないけれども、ユネスコの会議で日本政府が表明したように、「過酷な労働環境で働かされた」からこその行動ではないでしょうか。落盤事故が続いて、「次は自分かも」と思わざるを得なかったような労働環境だったのです。朝鮮人にとっても日本人にとっても同じだけれど。

 

 そういう環境で同じように過ごしても、多くの人は自分の記憶を修正することがあります。苦しかったからこそ、仲間とのひとときの語らいや、ホッとした瞬間だけが記憶として残り、イヤだったことをくり返したくないという思いが、記憶を消し去ることもあります。他方で、戦争がおわったとたん、「お前は日本人ではない。朝鮮人なのだから早く帰れ」と罵倒されて戻った人は、記憶が別の方向に強く修正される場合もあると感じます。その結果、同じ体験をした人が、別の体験を語るようになることもあるのでしょう。

 

 しかし、いずれにせよ、「意に反して連れて来られた」時代よりもっと前に日本にやってきた鈴木さんの父親でさえ、軍艦島は逃げ出したい労働環境に置かれたのです。ましてや、戦時中に「意に反して連れて来られた」人々の気持ちは、その人々でないと証言できません。

 

 ところが、このセンターは、軍艦島出身の日本人に対象をほぼ限定することで(例外は鈴木さんのみ)、「意に反して連れて来られた」時代の証言を排除する仕組みになっています。それは、軍艦島出身者の集まりにはできないことであって、まさにそれを国際会議で約束した日本政府が、みずからの責任でやり遂げるべきものでしょう。それをしないなら、ユネスコでの約束は欺瞞と言われるでしょうし、登録撤回を求められてもやむを得ないことになります。

 

 帰り際、軍艦島出身者の説明員が、「あなたたちはどういうグループか」と聞くので、私は、「いや日韓問題の本を最近書きましてね」と答えたら、「何という本ですか」とつっこんでっくるのです。そこで、「『日韓が和解する日』というのです。センター宛てに送ったので、是非資料室で展示してくださいね」とお願いしました。

 

 そうしたら、その説明員は、「いいタイトルの本ですね。両国の指導者が交代して、そういう日が来ることを願いします」と感慨深げでした。韓国の言い分は間違いだと言い張った人なのですけれど、心の奥底では、やはり和解を求めているのですね。(了)