先日、亡くなった横田滋さんのことについて書いたら、左翼の中に拉致問題で「家族会」の偏向を問題にする人がいた。家族会はごく一部の左翼を除いて幅広い国民の支援で成り立っていると私は考えるが、排除されていると感じる左翼がいることも現実である。しかし、たとえそうであっても、それは左翼の責任だということを自覚しなければならない。

 

 拉致問題がまだ大きな世論となっていなかった80年代から90年代にかけて、社会党は、北朝鮮の犯罪であることを明確に否定していた。北朝鮮は否定していたし、そんなことをする国ではないというのが社会党の(のちの社民党も含め)認識だっただろう。

 

 その中で、共産党は88年、橋本敦参議院議員が国会で取り上げるなど、積極的だった。この当時、「赤旗」なども拉致問題での運動を積極的に取材していたし、運動とも関わりがあった。それこそ右翼こそあまり関心がなかった時代である。

 

 しかし、2000年の不破さんの党首討論があり、拉致は「疑惑段階のもの」となった時点で、橋本質問は証拠もないのに拉致が北朝鮮の犯行だと断定している立場なので間違いだということになり、しばらく(日朝平壌会談まで)お蔵入りになる。「赤旗」が取材することもなくなっていく。

 

 それ以前、大韓航空機爆破事件とかがあって、証拠は軍事独裁政権下の韓国での金賢姫の証言だけだったので、「ただの疑惑」とすることも可能だったが、当時の党首だった宮本顕治さんは、「北朝鮮の犯行だ」と断定した。北朝鮮がそのようなことに関与する国だということをそれまでの相手との接触で確信していたから、たとえ北朝鮮が関与を否定していても、そう断定できたのである。

 

 こうやって以前は北朝鮮の犯罪を告発することについて、社会党はともかく共産党は積極的だった。しかし、2000年以降、そこから手を引いていくことになる。

 

 その結果、拉致問題の運動は、まさに右翼の専売特許になっていくわけである。運動が偏向してきたというなら、そのかなりの責任は左翼が負わねばならない。

 

 2002年の平壌会談で北朝鮮が犯行をしたことを告白したことによって、共産党は、「いやうちは88年以来やってきた」と宣伝する。だが、そういうことでは押しとどめられないほど、拉致問題での運動は、広範な国民の支持を得るが右翼が主導し、集会などでは朝日新聞批判が飛び交うようなものになっていく。

 

 その転換点となる可能性が生まれたのは、家族会で長く事務局長をしていた蓮池透さんが、弊社から『拉致——左右の垣根を超えた闘いへ』を刊行されたことであった。(続)