北朝鮮の人権問題が2003年から毎年、国連で調査と批判の対象になってくる。しかし、昨日の記事で書いたように、2004年初めの共産党の中ではそれを重大な人権侵害として(国際問題として)捉えるかで、見解が揺れている。

 

 そこで私は、2004年から、かなりの時間を人権問題の勉強に費やすことになる。私の担当は安全保障問題であったので、それまで人権問題は不勉強だったが、重大な人権侵害というのは「国際の平和と安全を脅かす」というのが国際社会の認識であったから、じつは関連する分野だったのだ。

 

 そうこうするうち、2006年になり、日本の国会で北朝鮮人権法を制定するという議論が浮上してくる。世界的トレンドだったから、当然のことだ。

 

 私は、それまで2年間勉強してきたことをふまえ、政策委員会として常任幹部会に提出する報告案の執筆を開始した。いうまでもなく、北朝鮮の人権問題が「組織的かつ広範で深刻なもの」すなわち重大な人権侵害にあたること、したがってとうてい内政問題とはいえず、共産党としては国際問題として対処し、北朝鮮政府に対してもそれが許されないことを堂々と表明すべきことなどが内容である。当時の事情からメディアからの取材なども予想されたので、できるだけ早く態度を明確にしたかったのだ。

 

 その提案は常任幹部会に提出され、異論なく承諾されたと小池さんから伝えられた。ホッとしたことを覚えている。

 

 それに続いて、北朝鮮人権法の案が確定し、国会に提出の運びとなった。それまでの間、北朝鮮の人権問題を考え、いろいろ起案してきたのは政策委員会しかなかったので、私は当然、その法案への賛否を起案するのも政策委員会になるものと考え、それを小池さんに申し入れた。

 

 ところが、小池さんは、国会に提出された法案だから、国会対策委員会が起案することになったという。実際、通常は法案の審査は国会サイドがまず行い、それに政策委員会など担当部局が意見を述べ、食い違えば議論して解決するという方式だったので、不安はあったが従うしかなかった。

 

 それまでも、国会サイドの案が、政策委員会の意見でひっくり返った事例もあった。例えば、2001年、北朝鮮の不審船問題をきっかけにして、海上保安庁法改正案が出された。これは、不審船が停戦命令に従わず逃走する場合、それまでは威嚇射撃しかできなかったものを、不審船の船員に危害を与える恐れがあっても直接船体に射撃することを認めるものだった。この法案に対して、国会サイドからは「反対」の起案がされたが、政策委員会は「賛成すべきだ」との意見をつけ、志位さんは「反対」であったが不破さんが「賛成」ということで、最終的には、「「不審船」に対する立ち入り検査などは必要なものであり、停船命令に従わずに逃亡する場合には、危害射撃によって逃亡を阻止することが必要との立場から、今回の法案改正に賛成」(2001年11月4日(日)「しんぶん赤旗」)という立場をとったのである。

 

 だから、その時も、たとえ国会サイドからどんな提案があっても、なんとかなるだろうと考えた。しかしそれは決定的に甘かったのだ。(続)